このシリーズが好きなようで薄い冊子の割に1500円もするのですがついつい買ってしまいます。 まずは、建築の世界では、特にデパートや劇場などで不特定多数の人間が火災などにあうと、パニックとなり、それもあってとても多くの階段を付ける事を強いられるので、特に効率重視のSCなど、屋外階段がボコボコついているのは気になった事がある方も多いんじゃないかと思います。 でもここでは、911の例などみても、実はある種の同胞意識が生まれる事で譲り合ったりパニックになる事はない、というような事が書かれています。 まあ安全側に判断すべきだとも思いますが、世の中の色々な事が、ある仮説(ここではパニックになるという)に基づいて設計などされていて、もしかしてその仮説が正しくないと、恐ろしく過剰な対応をしているかもしれない(今回の原発のように逆も然り)、と考えると、その仮説そのものを常に疑っていないとマズいんじゃないかという事です。 そんな意味ではこのサイエンスなんかは、当然ですが、古い仮説と新しい仮説についての記事が全てと言って言い訳ですから、そういう見方で読んでみると、時に眉にツバをつけたくなったりもします。 別の記事で、チンパンジーは過密になっても毛繕いなどを増やす事で争いは増えたりはしないけれど、ストレスは間違いなく増えるらしく、人間も同じかななんて。でも一方で人間が何かの集団に参加しようと決めると翌年に死亡する率が半減する、なんてのもあって、そんな単純なものでもないだろうけれど、やっぱり人間の密度や社会性というのはとても大きな問題なのだなと。 もうひとつ、「死後」を何故人間は信じてしまうかについて。 例えば知人でも家族でも、目の前から消えてももちろん存在しなくなった訳でなく、どこかで何かをしていると認識が続く(人物の永続性と呼ぶらしい)ので、その人物が死んでしまったからと言ってその思考のスイッチを単純に切ってしまえない、そしてその認識が、死者がどこかで漠然と存在していると思い込んでしまう理由ではないか、とあり、ちょっと納得しました。 ま、全ては仮説でしかありえないけれど、その仮説という道具をつかって、人間の深淵を少しでも覗けたら僕は面白いなと思います。が話は戻って仮説だからこそいつまでも見直され続けざるを得ない事だけは忘れないように。と
by Moriyasu_Hase
| 2011-06-14 14:10
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