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人間の建設

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解説の茂木健一郎さんの言葉が軽々しく感じられるほど、恐ろしく深い対談です。
何故「軽々しく」感じるのか?
小林が岡に対し「自分の確信したことしか文章に書いていない」と言い「今の学者は、確信した事なんか一言も書きません。学説は書きますよ、知識は書きますよ、」「しかし世間は、おそらく逆を考えるのが普通なのですよ。確信した事を言うのは何か気負い立たなければならない。確信しない奴を説得しなければならない」
その確信というのは、結局岡潔の言う「情緒」つまりは心であって、決して知識の積み上げで至ることができるものではない。
全て引用したいくらいの内容ですが、建築をやる自分として面白いなと思ったのは、
「いまの数学でできることは知性を説得することだけなんです。説得しましても、その数学が成立するためには、感情の満足がそれと別個にいるのです。」つまり、数学というのは恣意的で抽象的なルールから出来ているので、その恣意性や抽象性というのは、人間の感情としてそれが妥当だと納得しなければ根底から崩れるものだ、というような意味だと思います。
それは人間の生活の全てにも当てはまって、例えば建築だって恣意的で抽象的なルールから出来上がっているわけで、その妥当性は感情によってしか与えられないはずですが、同じく、そんな妥当性を追求する事なく空中に浮かんでいるように見えます。よね?

最後に、なぜ「人間の建設」というタイトル?と思い、「建設」という言葉が使われた場所を探してみると、
「‥破壊というのは、いろいろな仮説それ自体が全く正しくなくても、それに頼ってやったほうが幾分利益があればそれでできるのです。‥‥建設は何もしていない」と、原爆はもちろん、医療だって病原菌を破壊しているだけで、一番簡単な有機化合物の葉緑素さえつくれていないし、自然の資源を食いつぶす機械的操作であって、なに一つ建設はしていない、そして「自然に対してももっと建設のほうに目を向けるべき」と。
もちろん葉緑素をつくれるくらいになるべきだ、なんてレベルの話でなく、根本的に何かが間違っていて、一回り大きなスケールで問題を考え直すべきだ、という事です。

この全く畑違いのお二人の言葉がなぜこんなに重なってくるのか?それはもちろんどちらも(全てですが)人間という存在から溢れ出てくるものであり、源泉は同じという事ですよね。そしてその源泉さえ確かめられたら、きっと大切な仕事ができるという事だと思いますし、少しでもそんな風にできればと思いますよね。

しばらく古典を読むと書きましたが、もちろんこれはもう古典です。
by Moriyasu_Hase | 2011-07-09 11:18 | みるーよむーかんがえる
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