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カテゴリ:けんちくーかんがえる( 33 )

新建築12月/平成知新館

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谷口吉生さんの平成知新館.上野の法隆寺宝物館と基本的なデザインは似ていて、宝物館はとても好きな建築ですが、なんだろう、谷口さんの建築は全く気張ったところはなく上品なんだけど、かといって地味ではなく、恐らく一般の方も含めて人気投票をすると一番なんじゃないかなと。その理由は、やっぱりプロポーションと素材に対するとても高い審美眼があるからで、やっぱりそれが大切なんだろうなと、谷口建築を見ていると改めて思い知らされます。
一方で今作られているものは、その対極というか、素材なんてベニヤでもいいから、気張って目立ったものをつくって、それが今っぽくてカッコいい、みたいなのは、僕は嫌い。時々、本物感というかauthenticityというか、ってなんだろうと考えると、谷口建築はそうだなあと思うし、もちろんまた違った方向性はもちろんあるにせよ、目指すべき質なんだろうなと思うし、モダニズムの大切な部分をきちんと継続されていると思う。つまり、重力や様式や素材に圧迫されないというか、それらから自由であるけれど、決して逃げいている訳ではなくて、向き合った上でいかに自由でいられるか、とうのは、例えば壁や天井や階段等という要素がそれぞれ自立するような配置やディテールを追求して実現しているように思います。がそれはなかなか困難な事ですよね。
そういう視点から他の作品たちを見ると、やっぱりしんどいw。やっぱりなにか重たいというか不自由さを感じてしまう。偉そうに言っても、僕もまだまだまだまだ。。。

でもこうやって、追いかけるべき大きな背中がある、という事はとても素晴らしい事だし、自分も少しでも、建築に限らず、そういう存在になるために努力を続けるしかないと思います。
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by Moriyasu_Hase | 2014-12-05 11:15 | けんちくーかんがえる

新国立競技場。これはマズい!

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建築物についてこれほど話題が集まったのは記憶にないくらいだけど、特に建築家、中でも名のある方々が反対等表明しているのと、安藤さんがその中心にいるのに反対している、というのが事の重大さを示しているように思います。
まあ細かな話はおいておいても、このコンペ時と新たに出された基本設計のパースを比較すれば、こりゃ別物だなとどなたでも思うでしょう?
予算や周囲への影響など、問題とされたものに対して変更した結果なのだけど、ここまで変わってしまわざるを得ないというのは、本来コンペでの結果は重く尊重すべきとしても、選び方や選んだものが間違っていた、つまり余り好みではないけど高い料理やに、余りお金も持たずに入ってしまったというか、本当はもっと自分の味覚と財布に見合ったお店に入るべきだったとしたら、椅子に座ってメニューを目の前にしても、やっぱり勇気をもってお店を出なければいけないのではないか?と思います。

他にも書きたい事はあるけど、ポイントとして、やっぱりこれは止めるべきだし、それに先立つ、7月から予定されているという現国立競技場の解体は、まずは止めろ!という既に建築界等からも要望が出ている事を何とか実現し、もしかしてもっと予算を足してでも当初案に近いものを実現するという選択肢も含めて、伊東さんたちが出した、改修案なども含めて議論を尽すべきです!

アレックスカーの本で、日本はアクセルはあるけどブレーキがないと書いてました。アクセルは全体の空気で何となく押せてしまうけどブレーキは強い意志がないと踏めない。つまり今までに無い強い意志を発揮しないと多分止められないから、もっと声を集めていくしかないのだろうけれど、、他に何かできないかなあ。。
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by Moriyasu_Hase | 2014-05-30 09:03 | けんちくーかんがえる

また白井晟一

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先日図面張りましたが、また白井晟一ですが、頂いた本など合わせると10冊以上白井晟一の本があって、その中に紹介されていた「木造の詳細」という、白井さん設計の「呉羽の舎」の全図面なのですが表には一切そう書いていない不思議な本。でも白井さんは作品の解説はせず、極力図面を載せていたし、またスケッチは一切捨てていて、竣工図しか出さなかったというから、つまりスケッチというのは「構想」であり普通はその構想がその仕事やディテールまでも方向付けるから重要とされるけれど、白井さんにはそう言う意味での構想は無かったと言えるんだと思います。
白井作品はいくら見ても、また哲学的な言葉をいくら聞いても、どうも根っこの部分が分からないなあと諦め半分でしたが、1985年の建築文化で原広司さんがインタビューしている中での白井さんの言葉の中に、そうか!というのがありました。
「人間の本質。開発前の宇宙大系のようなもの。が矛盾しながら呼吸しているのを統一して表現にもってゆけるのが人間の値打で、機械とちがうところなんだ。エレクトロニクスでできぬことはそういう矛盾の統一、いな生きている矛盾を内包せぬ事だと言える.社会はそのまた複合体なのだから、矛盾のない原理的なものが心棒になって動かしているんじゃない。僕も60になってやっとそんなことがわかりかけてきたんだ。建築という仕事もね。」

と、すっかり先日の禅的な話とつながってくるわけです。
原理なんてなくて、矛盾を統一して表現をする努力をするけど、それが出来たとしても決して原理は生まれないので、新たな矛盾たちとまた新たに向かい合って統一を図ってゆくしかないと。
だから、洋風、和風、モダンなどというのはそのあり得ない原理でしかないから従うわけにゆかない。
と何となく勝手に合点がいったつもりなのですが、いやいやその程度のことが頭で分かった所でそれを実践するという事がいかにまた困難な事か。。20年後、60過ぎて白井さんのように言えるように、(インタビューしていた原さんも記していますが)「この偉大な師に遠く及ばぬとは知りながら、精進を心がけるほかない。」です。

仏教的に言うと、「縁起」なんでしょうか。お寺の釣り鐘と、それを撞く鐘木。それが出会い(撞かれて)音が出て、初めて鐘も鐘木もそこにある、というか。「様式」というのはある種、その出会いの前に、これこれの組合せで、こういうものになる、というレシピのようなものだけど、建築はそんなレシピによってつくられるべきではない、という事だろう。

うーん。ちょっと分かったつもりで目先の仕事に取組んでみよう。
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by Moriyasu_Hase | 2014-04-26 11:20 | けんちくーかんがえる

白井晟一の図面

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今、訳あって自分の設計スタンス?など見直しているのですが、以前頂いた「世界建築設計図集」(50巻もあるの頂いたのです)の白井晟一の親和銀行大波止支店(数年前見に行ったけどとても抑制された、つまり地味というか、でもとても端正でした)の図面を見ていたら、もちろん有名な建築家の図面は全てそうでしょうけれど、いやいや白井さんの図面のなんと美しいことか。
少し前の世代の事なので知りませんでしたが、白井晟一は新建築などに作品を発表するときはかなり図面の比率が高く、図面、というもの自体に重きをおいていたようですし、この図面だけで十分芸術品と言えるレベルですね。
有名ですが白井晟一は書道も相当な腕なのですが、書も、単なる文字と言えばそれっきりですがもちろんそうでなくそれ自身が表現として、道として深められるものであるように、図面もそう捉えていたのか?あともちろん、それを作る施工者たちへ伝える言葉の代わりなのですから美しい言葉で語りかけた方が作る方もより良いものをつくる気持になるでしょうから、やっぱり表現としての設計図というのはとても大切なんだと思います。積算する方、監督、大工、などその図面をついつい見たくなるのか、見たくない図面なのか、という違いはやはり大きいでしょう。

僕もそれなりに図面はきちんと描かなければと思ってやってきたつもりですが、やはり特にCADになってコピペが日常となってくると、どうもそういう気持が薄れてきているなあと、この白井さんの図面を見て反省をしました。
もちろん単に丁寧に細かく描いている、というレベルでなく、造形の細部にまで生命が宿っているとうか、それもモダニズムでも言った「神宿る」という緊張感を質的に飛び越えるような意味で「神」というよりは「生命」の生々しさがあるというか、、多分ご本人もそれは言葉にはできなかったし余りしなかったし、身体感覚なのかもしれません。というか、説明ができるような事に重要な事はない、という意味で、モダニズムの大部分(もちろん全てではない)は重要でなかったと言えるのかもしれません。

はあーー。。まだまだだなあ自分は。と改めて思います。
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by Moriyasu_Hase | 2014-04-21 16:59 | けんちくーかんがえる

そう言えば、卒論は。。

その理由はまた書きますが、今、少し自分の設計の方針を見つめ直しておりまして、ガサガサやってましたら卒論などが出て来まして、少し読み返したら、20年以上経ってますが自分の原点はさほど変わってないし、読み返してみることで、今後の方針を考える助けにもなるかと思いましたのでお恥ずかしい面はありますが^^;
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ノルベルグ=シュルツはノルウェイ生まれの建築史、建築論学者で、ハイデガーの思想等に影響されながら空間論や場所論、意味論などを展開していたのですが、正直それをやろうと思ったのではなく、悩んでいた所担当教授に読んでみろと渡されたのがきっかけで、その頃のゼミの自分の資料も残っていたので読んでみたら、結局、その頃のポストモダンなどの建築の意味や価値が理解できず、素朴に「美しさ」とはどうしたら実現できるのか?動物の巣や原始的な建築物と何が違うのか?構造を素直に生かして美しければ余計な事しなくてもいいんじゃないのか?みたいな事が書いてあって、それで教授も薦めたのかもしれないし、結果僕のベースの一部をつくっているので、まあ感謝しないといけないなあと思います。

まあ深く書き出すときりがないので、序で引用していた、
「過去においては、人間生活は<もの>と<場所>とに密接に関わっていた。苦難と社会的不正義にも関わらず、ひとは<帰属性>と<同定性>の感覚を持っていた。世界は質と意味の世界として体験された」「幼少時代から我々は測る事と分類する事を学ぶ。通常<科学的>として知られている抽象的な種類の理解が支配してきた。。。このようにして想像力は殺され、理性が統治する。」
というような思考は多分元々感じていて、その後もずっと感じ続けてきてまた最近特にそういう思考が強くなってきているように思います。
自然をあるがままに感じ、詩や芸術などへの感受性を失わず、つまりは「今」「ここに」生きているというような「実存的」なありかたを目指さなければならないのですが、近代(建築)が結果として招いたのは、時間と場所の概念を消し去り、今はいつなのか?ここはどこなのか?分からない、つまり自分は誰なのか?が分からない世界だと言えますし、物質的な豊かさと引き換えに精神的な豊かさを失ってしまったのだと思います。
シュルツは建築家としてはルイス・カーンを一番取り上げていますし、建築をつくる上での思想としては我々ももっともっと勉強すべき対象なんだと思うのですが、何しろ難解なので敬遠されているのでしょう。でも、難解でない分かり易い事になぞ、何も深みはないと改めて思い知り、分かり易い言葉こそ注意深く敬遠しなければいけないのだと思います。

かといって、大きな予算をかける建築の設計において、経済性や機能性においては分かり易い説明は欠かせないとは思いますが、それを乗り越えて、その難解な豊かさに一歩ずつでも近づきたいとは思いつつ、やっぱり簡単じゃないので、たまにこうやって自分の思考をたどってみたりする事も大切ですね。
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by Moriyasu_Hase | 2014-04-03 11:34 | けんちくーかんがえる

建築ジャーナル/新国立競技場について

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地味ですが真面目な専門誌です。新国立競技場案については珍しく建築界も波立ってまして投稿を募集していたので送ったら載ってました。
ゼロから見直せやら、改修すれば良いやら、コンペ案通りにやるべきだ、やら色んな意見がありそれぞれもちろん一理ありますが、問題の根本は?という事について。
都知事選、誰になるかによって大きく方針は変わるでしょうけれど舛添さんなら既定路線でつまらないので、田母神さんか細川さんが立つとすごいなあ。やっぱり東京は中心だから田母神さんは選ばれにくいだろうから、是非細川さんに!!と期待します。

以下原文です。
ーーーーーーーーーーーー
槇さんが言われた事はもっともな事だと思いますし、それもあってか規模の見直しが表明されたのは良かったにせよ、一番の問題は、このような国家的なプロジェクトでさえも国民の声や、本来それを代弁すべきであるはずの建築設計者たちの声を全く無視したまま進行してしまう、という事であり、それを解決すれば、槇さんが指摘された事たちは必然的に解消されるはずですから、まずはその一番の問題点について徹底的に追及しなければ今後も同じような事が繰り返されるだけのように思われますし、経済力が落ちる今後の日本にとっては致命的な事にもなりかねません。
多大な資金をつぎ込み、維持管理にも多大な費用がかかり、日々多くの人々が使用し、嫌でも目にするような巨大な建築物であるのに、であるからと言うべきかもしれないですが、当事者として本当にどの程度のどんなものが欲しいのか?を誰1人判断せずに、縦割りにされ、身勝手に判断され部分が寄せ集められて出来てしまう建物が健全であろうはずはないけれども、設計者であっても基本的なプログラムが出来てからしか関われないように、誰1人として「当事者」とは言えない状況でつくられているのではないでしょうか?それは政治においても同様のようですが、西欧では自ら勝ち取った権利としての公共であるとか議会というものが、日本には単に形式として輸入されたために、喩えれば、乗りこなすべきの自動車にひきずられているような状況に見えます。
建築の世界で気になるのは、国内需要が減りアジアなどの急激な発展の中で、もう国内は良いから海外へ、とか改修の時代だ、とか言われますが、新築で建ってゆくものでも、まだまだ建築設計者が健全に関わり切れていないものが大多数ですし、国や地方自治体に働きかけて、設計業務の前後で本来設計者が関わった方が良いような仕事はまだまだあるはずなですから、そこを放っておいて海外だ、改修だ、というのは単なる逃亡に思えますし、そんな事をしているから今回のような問題がなに一つ解決しないのでしょう。

問題は余りに大きく根深いため、本来は設計者の団体が団結して取組むべきですが、残念ながら現実的ではないようなので、まずはそれぞれの設計者が、槇さんがやられたように、当然自分の仕事やそうでなくとも「本当にこれで良いのか?」と常に問い続ける事から始めるしかないと思います。そしてお互いの仕事に口出しをできないような仲良し団体の既存組織こそ根本的に意識を変えなければ、やはりいつまでも政治からは相手にされないままでしょうし、一般の人たちには分かりにくい世界でもあるからこそプロの設計者同士が遠慮なく批評をし合い、それに耐える仕事をする努力をするべきだ、という厳しいようで本来当たり前の事をして来なかった事が招いた結果ではないでしょうか。
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by Moriyasu_Hase | 2014-01-08 09:13 | けんちくーかんがえる

新国立競技場について

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明日こんなシンポジウムがあるそうで、その発端となった槇さんの論を読みましたが、設計をしているのに僕自身も何となくお祭り騒ぎに疑問も持たずに来てしまった事を恥ずかしく思いました。
もちろん違和感はあったのですが、出された情報(どのようにして立地や規模や用途が決められたかなど)が少なかったのですが、槇さんもそこは苦言をしてますが、神宮外苑というとても歴史的に意味と価値がある場所で、全天候型で8万人収容の競技場というのは、前の中国のそれ(鳥の巣)に比べても大きいし、日本の数十年後を考えれば、問題が山積しているはずなのに透明な議論が一切されてきていない、ということです。

まず立地する代々木公園は建ぺい率2%を超えては行けないはずの中で、30年前に隣接する東京体育館を槇さんが設計された時はとても苦労されたそうで、尚更、感覚的にこんな大きなものを建ててしまう事に対する様々な疑念を持ったようですが、読んでみると全くその通りという話ばかり。
そう言えば、我らが浜松城城公園も少し前に書きましたが、本来2%です。そして、市はこっそりと「都市公園区域変更」を行おうとしている。まあ似た事が更に大きなスケールでこの代々木で、東京都が行おうとしているのでしょうね。

なぜこうなってしまったかについて、「日本は市民社会を経験する事なく一足飛びに近代社会に突入する.封建社会の武士が構成した『お上』に代わって官僚の支配する『お上』が今日まで続いて」いて、「市民社会では市民がジャッジである」が「お上社会ではお上がルールなのだ。」というさすがしばらくアメリカで建築をやっていただけあり、こんな事は日本の建築家は言わないよなあ。
というか、仕掛けた側である安藤さんは、まあ「私がルールだ」という方ですからw、元々そこが問題の端緒だったのかもしれませんし、このシンポジウムのように、建築界の中でも槇さんの賛同者が随分集まっているようですが、今まで安藤さんは何故か?批判をされて来ませんでしたが、そろそろ安藤下ろしが始まるのかなあ。なんて思いますし、安藤さんは、小さい建築がとても良いですから、原点に戻られた方が素直に良いのではないかなあ、と思います。

まだ時間はあるようですが、ドでかいものが動き始めてしまったのを止めるのは容易い事ではありませんので、少しでも声を集めて、見直しの動きにつながるように、何かできる事があればしてゆきたいと思いますし、基本的には浜松城公園の事と同じ問題だと思っています。

追記
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ネットで拾った別版完成予想図!
槇さんが言いたいのはこうなるよ。という事ですね。言葉は要りませんねw
でも、建築でもCGやらいろんな技術が進んで来ていますが、僕にはどうにも違和感があります。
先日も市内にできた、某有名事務所がつくった建物ですが、これはCG映えして気持をぎゅっと掴んだんだろうなーでも、実際はイメージが強すぎる割にディテールでそれを抑制できていなくて、近寄りにくくなっちゃって残念だなーと感じたのですが、CGに頼れば頼る程、完成はそんなもんだと思います。つまりそんなのつくっている時間があったら、出来上がりを少しでも良くするために設計図と向き合うべきだ!と思います。
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by Moriyasu_Hase | 2013-10-10 14:56 | けんちくーかんがえる

こんなものが木造か?

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しばらく前から中高層建築の木造を実現すべくいろんな動きがあり、実現例も少しずつ増えているのだけど、この実験のような集成材のでっかい塊をつくってできた建築にはどうも魅力を感じない。
喩えると、もっと美味しい魚を食べましょうよ!といいながら、結局、かまぼこみたいな練り物を食わされている感じ。つまり素材の本当の良さなんて消えちゃっている。
だから、こんな方向で木造が脚光を浴びたとしても、本当に良い材木、なんてものは不要で、丸太を切り刻んで、節を適度に除ければそれでよい、という事。
美味しい魚!なんていいながら、サメの肉じゃないかよ、みたいな話。

銘木、なんてとんでもない値段で材木が売れていたのも今は昔で、でも良材というのは確かに一定量存在するはずなのだから、それを少しだけ高い値段を払えば手に入るのであれば、という人たちが増えて欲しいものだと思う、し、僕はそれを細々と実践しています。
まあ美味しい魚を生かせる料理人はそれなりに沢山いても、良い材木を生かせる設計者が少ない、ということなのかもしれません。
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by Moriyasu_Hase | 2013-08-10 12:10 | けんちくーかんがえる

誰がために?

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業界紙で購読している訳ではないのですが、訳あって(バレバレですが)今朝届けて頂き、「ものづくり特区」とやらの記事におい!って思いましたので。。
「市域の1/4を占める市街化調整区域の土地利用規制を緩和する事で、ものづくり都市としての高いポテンシャルを発揮した新たな企業誘致などを促進する」のだそうだが、市は以前「市街化調整区域検討市民ミーティング」なるものを開いていて私もずっと出ていまして、その時に危惧し発言していた通りになってしまいつつあることを大変残念に感じました。
つまり、今後さらに人口が減り都市インフラ維持への負担などが増えてゆく中でこのような規制緩和を行なう事は、ただ中心市街地が更に没落する(のに税金を投入し続けるという矛盾)という事にとどまらず、都市全体の持続性という意味でも大きな問題があるのではないかということです。
まあそのくらいの事は分かっているでしょうし、「ものづくり」への緩和でありそれ以外に野放図に緩和をしないと信じるとしても、それでもだいたいこの手のインセンティブというのは基本一部の世界への利益誘導であり不健全である事がほとんどなんじゃないでしょうか。。だからインセンティブという言葉は好きではないですね。全体のためになっているとは思えない。

で左下に!
字は潰れて読めないでしょうが、意図的です。笑
ま、いつも言う事は同じような事ですが、ものごとには良い緊張感が必要だというだけの話でした。
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by Moriyasu_Hase | 2012-01-13 10:19 | けんちくーかんがえる

これでいいのか?住宅設計者

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住宅特集の記事に「20011年に掲載された、、2000-2010年の間に3度以上の掲載がある設計者を対象」としたアンケート結果が載っていて、やっぱりか、と思う反面これで本当に良いの?と思いました。
それは、2011年に竣工した住宅件数が0-3件の方が76%、0-2件が64%もいるという状況です。
他のアンケートにありましたが、総予算もそれほど高くない中1件あたりの設計料も恐らく平均300万も行っていなさそうなので、単純にかけ算をすれば76%の方が多くても年間に1000万設計料を手にして、50%程度の方は500万にも満たないという事じゃないかと読めます。
もちろん事務所を経営するに当たって家賃やら機器やらスタッフやバイトの(安かろうと)人件費やらを引くと平均して半分程度は無くなると思われるので、設計者に残るの金額が300万以下という層が半数近くいるという事のように推測できたりします。

確かに僕も最初数年くらいはそんなものだったし、もちろんお金が好きでやれる仕事ではないとみんな分っているとは思いますので、これも想定内の事実だったかもしれません。が、数千万の予算を背負う設計者というのはとても責任と能力の要る仕事である事を考えれば、やはりこの結果に対して何か真剣に考えなければいけないと思いました(本誌には一切コメントは無し)

何故能力のある方々のはず?なのにもっと依頼が来ないのか?
こんな夢のない状況で次の世代が頑張ろうと本当に思えるのか?

定期購読していますが、どうも作品たちを見ていても、どうも社会から理解されない閉じた世界の中でいかに目立つかを争っているように(一部は本当に素晴らしい方ももちろん掲載される、から買っている!)思います。ま、文句言われる筋合いでもなんでもないですが。。でも設計事務所全体でもっと価値を認められるような仕事を積み重ねてゆけてこなかったからこそ現状がこうであり、やっぱり変えてゆかないといけないと思います。
現状を自慰的で軽薄で、こんなだから大きな力になり得ないし、自らの首も絞めていると感じます。
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by Moriyasu_Hase | 2011-11-22 14:53 | けんちくーかんがえる