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カテゴリ:ひとって?( 57 )

よみがえる縄文の女神

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先日新聞にこの国宝となった土偶「縄文の女神」が載っていいて、この信じられないほどの美しさがなぜ生まれたのかに興味が沸きました。
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それでこの本を注文してみたのですが、決してこの縄文の女神の本ではなく、広く縄文文化や土偶というものがいかに生まれ、今の私たちにつながっているのかを論じた本でしたが、もちろんそここそ興味があるところでしたので面白かったです。
たまに耳にする事ですが、日本というのは弥生文化がルーツであり、縄文時代はその前の単に未成熟なものだと思われてしまっていますし、本書にもありましたがゆとり教育が始まった頃、小学生の教科書から縄文時代が削除され、その後抗議などがあって復活はしたようですが、やはり扱いはそんな感じですが、本当は日本人のルーツの多くは縄文だと言っていいという少数派意見に僕も賛成しています。

さて、「土偶」とは何だったのか?基本的には女性であり、多くは子を宿しお腹が大きくなった像であり、でも何故か人間を模しているというより意図的なデフォルメがなされており、これは初耳でしたが、多くはわざと、破壊されてきちんと埋葬されていたようです。また、これも知りませんでしたが、貝塚って決して廃棄の場ではなく、人間も埋葬されたそうで、土偶の件も合わせて考えると、つまりいわゆる「輪廻」を信じていたから、子を宿すという事にとても神秘的な想いをもち、死んでもまた生まれ変わってくると信じるからこそ、それを土偶に託し、貝殻も人間も祈りの中で生まれ、死んで、また生まれ変わってくる、というか、もちろん狩猟民族だった彼らにとっては食料となる動植物たちも、生まれ変わってもらわなければ生きてゆけないから、輪廻を自然と信じたのではないかと思います。
と、ここまではある程度分かっていた事ですが、僕にとって役に立つ発見として。
「コーカソイド(白色人種)の世界における神話、たとえばギリシャ、ローマ神話は、神々の恋の物語ばかりで」「それに対して、モンゴロイド(黄色人種)の神話に出て来るのは太陽神や地母神的な神で、実に多様な神が登場し、聖なる動物が人間と交感するなど、どことなく懐の深い母親のイメージが強い」また、河合隼雄などが指摘しているように「西欧が父性原理に貫かれているのに対し、日本社会は母性原理による」というのは間違いのない事ですよね。
だから僕たちは「母なる大地」という言葉を使いますが、良く知りませんが西欧では決してその概念さえないんじゃないかと思いますし、大地というのは人間の理性でもって管理して、そして作物ができる、くらいに思っているんじゃないかと思いますし、それが既に世界を席巻してしまっている、合理主義思考や大きくなり過ぎてしまっている経済至上主義の根っこなんでしょうし、建築の世界もすっかりそれに毒されて?いるのだと思いますので、「母性の建築」というか、元々日本やアジアではそうだったと思うのですが、建築に母性を取り戻さないといけない、というのを改めて思いましたし、無意識でやってきている事とも重なる事だとも思っています。
まあ、大学教育や社会システム自体が父性なんだから、母性って、個々人が気付いた範囲で取組むしかないという弱い存在と言えますが、だからこそ母性を取り戻す努力をもっとしなければ、僕たちの心は荒んでゆく一方じゃないかなんて思います。

でもなんで、こんな美しい造形ができたんだろう?
しばらく前の「神々の沈黙」を読んだときから思っているのは、この造形も間違ってもある個人の創作物なんかではなく、神の声がつくらせたからこそ、美しいんだろうな。でも神の声なんていうと怪しげですが、神は自然であり、つまりは自然に真摯に向き合う人間が感じられる本質なんだろうな。と思います。
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by Moriyasu_Hase | 2014-08-11 17:31 | ひとって?

集団的自衛権のこと

こんなことでもないと憲法なんて真面目に読まない、という時点でダメですがせっかくの機会なので読んでみましょう!
本来、欧米などでは、そもそも暴君や圧政から国民を守るため、つまり政府に勝手な事をさせない目的で憲法は存在している様ですが、日本では敗戦後のバタバタでつくらされた?という側面があるので日本ではそういう認識は希薄だと思いますが、でもそこは大切な所ですよね。
そういう意味では、アベさんの暴君ぶりで憲法が変わるなんていうのは本末転倒と言っていいのかもしれませんし、退陣させてでも止めさせるべきなのかもしれません。
下記、何度も読み返してみると、今回の件はとても問題だと思えてきませんか?
憲法でいう「平和」とは戦争を是認してその役割の一部を担う事なのか?
そもそも戦争を否定して、身が危うくなろうが戦わないと高らかに宣言する事なのか?
解釈さえ変えれば軍隊にもなりうるような自衛隊をつくって来た事自体が間違っていたのではないか?つまりそこで戦争を肯定してしまっていたのでは?

現状を出発点にいろんな議論が交わされ、その中でアベさんも突っ走ってますが、そもそも日本国憲法が目指した「平和」に照らし合わせれば現状から否定しなければおかしいんじゃないかと、改めて思いました。

と、まあ僕もお恥ずかしながら真面目に憲法なんて考えてきていませんでしたのでピントはズレているでしょうけれど、それでも思った事を言うようにするというスタンスなのでご笑読ください。

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日本国憲法

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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by Moriyasu_Hase | 2014-07-02 11:26 | ひとって?

原発・免停・自民党

間もなく選挙ですね。
久々の長期政権になりそうだからこそ、今回の結果は今後に大きな影響を与えそうですから真面目に考えないといけないはずですが、世の中は逆に自民党でいいじゃん、という空気ですよね。
まあ野党が小粒でバラバラな事を言っているから仕方ないでしょうけど、改めて原発について考えてみました。
今までは正直、きちんと安全性の評価や今後の体制ができるのであれば早く再稼働させた方が日本の経済の(それは私たちの今後の負担につながる)ためになると思っていましたが、ふっと、運転免許って、違反や殺人などしてしまった時に、かなり厳格に取り消されたりしばらく取れなかったりさせられるし、確かに凶器になりかねない自動車を運転する責任という意味で妥当だ、とするならば、今回の原発事故も同じことで、「今後絶対に気をつけますから!」と誓約したところ免許が戻って来ないのと同じく、やはり少なくともいくら経済がダメになろうが今まで恩恵を受けて来た、そして間接的に原発を進めさせて来た国民全てが責任をとって免許取消を受入れなければならないんじゃないかと思いました。

それに、その後の安全性の評価やらを見ていても、どう見ても形式上でしかないように見えますが、それはやっぱり、政治が声の大きな存在(経済界や産業界など)のご機嫌取りをせざるを得ない、次ぎの選挙に勝てれば良い、という体質だからのように思えますし、その体質は基本的に自民党がつくってきたものでしょうし、アベノミクスはうまく行っているように見えますが、将来の負担がいくら残ろうが、今景気を良くする事が自民党のためになるという意味ではやはりその体質の延長線上でしかありません。

どうせ自民党は圧勝するでしょう、だからこそ、少しでも圧勝させないようにしないと、その体質が強化される一方でしょうし、やっぱり大した反省もなく原発は再稼働してゆくのでしょうね。
政治家が反省しなくて良かったのは、失敗を埋め合わせられる体力の有る時代で、これからはやっぱり反省もきちんとして、少しでも老体(日本のこと)に無駄なダメージのない政治を行ってもらわないと本当にマズいと思います。
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by Moriyasu_Hase | 2013-07-19 13:36 | ひとって?

進化が語る現在・過去・未来

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また別冊日経サイエンスですw
とても好きな内容だったけど何故か読み進まず、、かなり専門的な内容も多かったのと、それぞれに考えさせる事が多くて、少し読んでは考え、寝てしまいwと。。
内容は盛りだくさんなので触れてられませんが、ご存知の通りDNAには恐ろしい量の情報が詰まっていてその違いによって種の違いがあり、また常にそのDNAをコピーしなければならない中で(私たちもタイプミスをするように)変異が起こり、新しい種が生まれてくるのだけど、その変異は本来ランダムで逆に環境に適さないものも生まれるけど、環境に適した変異体の方が当然生き残るというだけではなく遺伝子レベルでも生まれやすい?ような事事が書いてありました。全くランダムな変異の結果にしてはかくも多様かつ美しい地球は出来なかったのでは?それこそ神の仕業に近いと考えていた僕には合点の行く所でした。
しかし僕らは元々魚だったわけで、大陸が移動する過程で浅瀬に棲む魚が、水中の酸素が少なかったり地上に昆虫が居たりした中でまずは空気中の酸素を吸う為にヒレが足に代わり、少しずつ陸上生活を始めた、という下りは魚好きの僕にはたまりませんでしたw。

でもこうやって生命というものを知る事で益々確信することは、簡単に言うと輪廻転生的な事です。
単細胞生物は限りなく分裂を続けているだけで、「死」などなく、多細胞生物となって始めて「死」や人間になって始めて「個」なんて概念を生み出したわけですが、僕らの体だって無数の細胞が常に死んで生まれているわけですが、それを気に留めないのと同様に、もっと世界的に、単に「人類」と考えてみれば、常に個人が死んで生まれるのは当然な訳で、その視点から見れば、僕らは単なる歯車としての「個」に過ぎない、と考える事ができるわけだし、東洋的な考え方はそもそもそうだったのじゃないかと(大して調べた訳じゃないです)信じています。
そう考えれば、死も恐く無いし、目先の事で悩んだり苦しんだりも、余りしなくなるんじゃないかなと。
だからと言って、没個性なつまらない人生、という訳じゃなくて、内面に向かい合う事がそれが実はとても豊かな事なのじゃないかと。そう思ってます。
僕は子どもの頃から特に魚や小動物が好きで、ずっと飼って、随分殺してしまってきましたが、何となくそれから学んだ事が今の思考に繋がっているような気がしています。
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by Moriyasu_Hase | 2013-03-10 16:08 | ひとって?

成功と失敗の脳科学

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やっぱりどうもこの別冊シリーズが好きなようです。
まとめから書いてしまうと、当然ですが人間も元は自然の弱肉強食の世界に曝されていて、生き残るための本能的な反射があって、それが今の人間の知覚とか思考の根底をつくっているのかな、という事です。

ライバルがいると燃えたり、他人の失敗を喜ぶのは目の前の餌を取らなければいけないという欲求から説明できそうだし、うつ病が現代増えているのは手を動かしたり労働や苦労を厭わないように脳が出来ていて現代便利すぎて苦労をしないためにうつ病などになってしまうとか。

あとオキシトシンというホルモンが分泌することで信頼の感覚が生まれるそうなのですが、信頼の高さが経済的豊かさと相関関係にあるようで、もちろん貨幣や社会というのは信頼が全てというかお互いルールを守ることによって成り立っているので当然なのでしょうけれど、それも興味深かったです。
最後に「子供は象徴をどう理解するのか」というのが一番興味があったのですがもう少し深い内容だったらなあと。。絵や写真のリンゴとか椅子とかそれがそのものではない象徴であるということを学ぶには時間がかかる、とざっくりそこまでしか書いていなかったのですが、言葉というものも同じですれど、僕たちは何かを伝えるためにはそのものを手にして相手の目の前に振り回さなくてもコミュニケーションできるというのが、実はとても不思議な状況だという事は、まずもう少し認識してみるべきでしょう。

ギリシア哲学的にいくら上からの視線で到達できなかった事も、精神病患者や、未開文明に接する事で見えて来た、という事が象徴的だと思いますが、やっぱり大切な事というのは人間の本性というか無意識のドロドロとした中にしか見つけられないという事なんだと改めて思います。

え?何言っているか良く分らないですか?
それは意識の延長に真実があるという教育をされてしまった事から逃れられていないからですよ^^
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by Moriyasu_Hase | 2012-08-17 21:01 | ひとって?

よのなかのルール

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しばらく前の本ですが。。。
「世間」というと外からの視線というか世間体という言葉の通り、私たちが外から求められるものですが、ここでは、「ぼくの答え」というか「内から外へのまなざし」という意味で、「よのなかのルール」を見つめ直すために何人かでいくつかのテーマを取り上げています。
宮台真司さんのストレートな物言いが好きでそれもあって読んだようなものだけど「なせ人を殺してはいけないのか」は面白かったです。
人間も殺戮を繰り返して来たし、動物も殺すまではゆかなくても凶暴になるのは、「仲間を殺すな」という単純な本能のようなものがあり、だから侵略されたり戦争時には平気で殺す事ができて、それはやっぱり仲間でないものが侵入して来た時なのですが、その「仲間」という範囲がある地域や国、という範囲で感じられていた時代が終わってしまい、とても身近な仲間(友人とか)でない限りは仲間なんかじゃなく犬や電信柱と一緒、と感じられる時代になってしまったから無差別殺人のようなものが起こる時代になったのではないか、そして「何故人を殺してはいけないのか」と敢えて問わなければいけない時代になってしまったのではないか、と。

それでも、特殊な精神状況だったり訓練を受けない限り,戦場でいきなり殺したりできないだろう理由は「自尊心」があるからであって、それは本来親や大人が「承認」という形で子どもたちに与えてきなものだけど、戦後の共同体の空洞化や大量生産的な教育の中で、「自立的尊厳」を抱けなくなってしまったしそんな大人が子どもに接する事で「バカを感染す」連鎖を起こしてしまっていると。

日本の子ども番組(最新は良く知らないですが。)では「みんな仲良し」とやっていますが、先進国は完全にやめているそうです。つまり仲良くできない相手とどう付き合うかを何も教えないことによって逆に人殺しを奨励してしまうという。
つまりは個々が自立し、自ら判断するという環境をつくってゆかなければならないのですが、今の親世代が既に「バカ」だから事は単純ではないわけですが。。

と宮台さんほど過激でないにせよ、他のテーマもまあまあ面白かったです。

ついでに姜尚中さんとの対談本を読んだのですがいやいやこちらは遠慮なく難しい内容でした。
が、その中で引用していた「ミドルマン」つまり「メディアによる世論形成を正しく行なうには、エキスパートと大衆では駄目で、そのあいだを媒介する人間が必要」という概念ですが、お二人ともどこかでそれを自任されているようですし、何も分かっていないのにそれらしい事を分かったように語る連中が多いのを嘆いていたりしますが、我々側にも、そのミドルマンの真価を見極める程度の能力は求められているという事だと思います。

以前からたまに言ったり書いたりしてますが、プロっていうのは本来そんなミドルマンであるべきだと思っていますし、僕であれば建築の世界でそうありたいと思っています。
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by Moriyasu_Hase | 2012-07-16 18:29 | ひとって?

震災と原発

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まもなく1年ですね。本当は現地で肌身で感じておくべきことかとも思いつつ。。
原発の原理とかそれほど知らなかったのでこれ以外にも調べたりしてみて、感情的には、こんな悪魔のようなものはやっぱり存在するべきではなかったのだと改めて思いつつ、でもそれを言い出せば道路と自動車、という便利だけど必ずしも無くてもあり得たものが、毎日多くの人命を奪っているから、即刻無くすべきだ、という話と程度の違い以外に何かあるのか?という風にも悩ましく思います。
結局経済行為なので安全性をどこかまでで妥協せざるを得ないのは自然な事としても、チェルノブイリのその後やフクシマも今後そうなるだろうけど、そのリスクも含めて冷静に経済性を考えれば決して優位性があるとは思えません(人命にをお金に換算しないと比較できませんが)。例の地球温暖化、という理由の元に(特に日本は)世界としては止められないのかもしれませんが、こんな事になって何がエコだ?とも言えますね。放射能は今後何万年単位で消えないらしいという事を人ごとだと思っているのかもしれません。

深くキリの無い話ですが、その2年前の経産省の審議会で「貞観の地震(869年の今回程度の大津波があった)」があった事が周知だったにも関わらず何も触れられていないという発言が放置された件と、地震の死者数は刻一刻と発表されるのに被爆者の死者(恐らくもうかなりいるのでは)が一切発表されないのは何故だろう?という事について考えました。
原子力ってもともと軍事であって、つまり国の管理下で生まれ育ったわけで、もちろん法律によって規制されていて、想像に難くないですが閉じた世界でしょうから馴れ合いにもなるでしょう。また国策でもあり、とても特殊で不確実性の高い科学技術ということもあり、健全な議論を阻んできたようです。戦中の日本と変わりませんよね。戦争も一度懲りたからって、他国が悲惨な目にあったからってそれを理由にやらなかったりしなかったように。

原発は即刻全て廃止せよ!という声に、極端だなあ、と感じていたくらいでしたが、原発を1基廃炉するのに百億単位のお金がかかるのを知り、また40年の寿命も延期もできるとすると、何かのきっかっけでやめてしまわないといつか同じ轍を踏むのは間違いなんだろうな、、なんて思いました。僕は本来はこういう専門的な事はその道の専門家があるべき判断をすれば良いと思っていますが、経緯を見る限りそれは不可能なようですから、国民として発言をしなければならないのでは、とも。
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by Moriyasu_Hase | 2012-03-09 18:30 | ひとって?

男と女

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このシリーズ何度か書きましたがバックナンバー買いまして。色っぽい話ではないのであしからずw
他の動物や脳の観察などから、オスとメスは生来違いを持っているようですが、かなりの部分はやはり社会的な色として男と女という枠に染められてゆく、つまり偏らない環境で育てる事でその枠に押し込めない可能性もある、という事ですね。まあ考えれば分る話ですが改めて意識はすべきでしょう。。

ちょっと面白かったのは、何故男性(女性ではく)コメディアンはもてるのか?という記事で、その前に何故「笑う」のかというと、それは相手に心を開いた状態で、それを続けて欲しいというサインでもあるから、笑わせる男と、笑う女、というのは惹き合う、らしい。
子供やチンパンジーも追いかけっこをして追われる方が笑うのだけどそれは続けたいというサインだと知ると、笑うという意味も少し分るように思います。

で、長続きするためにはポジティブな感情を高め合うのが大切だ、という話とともに、鬱や、暴力の話などもあり、まずなにより個々が前向きな感情でありさえすれば、こんな自殺の多い世の中もちょっとは良くなるのになあと。。
男と女に限らず、家族も友人も、職場でも、お互いが前向きな気持になれるようにお互いが振る舞う事ができれば、それは好循環となり続くでしょうし、反対であれば悪循環となり、夫婦も友情もいつかは破綻してしまうでしょう。。。。え?

僕たち建築設計をしている輩は、建築が人々や社会に何か力を持てると信じている節があり、だからこういうのを読んではじゃあ自分の建築はどうあるべきだろうと考え過ぎてしまうのですが、もちろん直接的に何かを好転させるまでは行かなくてもやはり考え続けなければいけないと思います。
自分の設計に関して、住宅でいえば、やっぱりまだまだ「nLDK」という形式や寝室や子供室等のあり方について形式化してしまっている世の中の流れに流されてしまっている面があるので、根本的な所から再考してみなければとずっと思っていたりもします。
一つには,自己完結し過ぎているんじゃないか?ということ。
男の子、女の子、という型のように住宅という型にはめすぎということ。
そして自らの家族というものに対して閉じ過ぎているのでは?ということ。

分りにくいですよね。。まずは自らの生き方をもって実践しなければいけないんでしょうねw
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by Moriyasu_Hase | 2011-12-06 17:05 | ひとって?

十五夜

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昨日でしたね。
ここに移って早いもので1年近く経ち、日々自然を感じる心地よさを改めて認識させられてきましたが、月というのはふっとした時に気になる事は多くても、何となく脇役的に思ってきた所もありました。
せっかくなので今夜は満月と向き合ってみようということで、月を観るために家の中を一眼レフ片手に動き回りました。ただ軒が深く低いために、実は2階からは余り良く見えず、ガレージに出たり、この写真のようにⅠ階の庭からが良い眺めでした。
いつも使っているかなりの広角で(敢えて)撮ったので月は小さくし見えていませんし、樹木のライトアップの光量が強く出てますが、でもやっぱりとても象徴的な強さを放っているように思います。
小さくしか見えていなくても、すごく遠くにあって、実はとても大きな畏怖すべき相手だという事を本能的に感じているかのような。

この歳になってやっとこういう事の大切さが分かるようになったというか、振り返れば仕事の事ばかり考えて追われてそんな心の余裕は無かったのかもしれません。というか、時間がそれほどまで無かったわけでなく、気持ちの切り替えが出来ていなかったのかな。
これで春夏秋冬1周したわけで、今後も何十周繰り返してゆくわけですが、自然って観ていて飽きる事がないのは何故だろうと思いますし、それが建築の本質にも大きくかかわっているように感じています。

去年は植えたばかりでしたが今年は更にきれいな紅葉が観られるかなと期待しています。
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by Moriyasu_Hase | 2011-09-13 09:10 | ひとって?

人間と仮説

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このシリーズが好きなようで薄い冊子の割に1500円もするのですがついつい買ってしまいます。
まずは、建築の世界では、特にデパートや劇場などで不特定多数の人間が火災などにあうと、パニックとなり、それもあってとても多くの階段を付ける事を強いられるので、特に効率重視のSCなど、屋外階段がボコボコついているのは気になった事がある方も多いんじゃないかと思います。
でもここでは、911の例などみても、実はある種の同胞意識が生まれる事で譲り合ったりパニックになる事はない、というような事が書かれています。
まあ安全側に判断すべきだとも思いますが、世の中の色々な事が、ある仮説(ここではパニックになるという)に基づいて設計などされていて、もしかしてその仮説が正しくないと、恐ろしく過剰な対応をしているかもしれない(今回の原発のように逆も然り)、と考えると、その仮説そのものを常に疑っていないとマズいんじゃないかという事です。
そんな意味ではこのサイエンスなんかは、当然ですが、古い仮説と新しい仮説についての記事が全てと言って言い訳ですから、そういう見方で読んでみると、時に眉にツバをつけたくなったりもします。

別の記事で、チンパンジーは過密になっても毛繕いなどを増やす事で争いは増えたりはしないけれど、ストレスは間違いなく増えるらしく、人間も同じかななんて。でも一方で人間が何かの集団に参加しようと決めると翌年に死亡する率が半減する、なんてのもあって、そんな単純なものでもないだろうけれど、やっぱり人間の密度や社会性というのはとても大きな問題なのだなと。

もうひとつ、「死後」を何故人間は信じてしまうかについて。
例えば知人でも家族でも、目の前から消えてももちろん存在しなくなった訳でなく、どこかで何かをしていると認識が続く(人物の永続性と呼ぶらしい)ので、その人物が死んでしまったからと言ってその思考のスイッチを単純に切ってしまえない、そしてその認識が、死者がどこかで漠然と存在していると思い込んでしまう理由ではないか、とあり、ちょっと納得しました。

ま、全ては仮説でしかありえないけれど、その仮説という道具をつかって、人間の深淵を少しでも覗けたら僕は面白いなと思います。が話は戻って仮説だからこそいつまでも見直され続けざるを得ない事だけは忘れないように。と
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by Moriyasu_Hase | 2011-06-14 14:10 | ひとって?