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ぶらりと京都へ

昨年からちょっと息が抜けないまま走ってきた感じでしたが、やっと少し一息つけそうだったので、平日に休んで京都へ行って来ました。
テーマは、修学旅行で行ったような所を改めて今の自分で感じてみよう、というのと、多少変わった宿に泊ってみようという感じかな。
それなりに沢山まわりましたが、まあ何枚かだけ。
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平日でもさすが人だらけでしたので、心静かに感じられるようなカットを。さすがこりゃすごいなー。近代現代建築は、この足下にも及ばないんじゃ?そんなことでいいのか?というか、西洋的な建築家という天才的個人ではなく、修練の結果と言える棟梁がこういうものをつくったというか、だから作る事ができた、という事実はもっと真剣に向き合うべきことだと思いますね。
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金閣。いやまあ美しいですね。難しい事は抜きに。時の為政者と職人などがこういう美意識を共有できたからこそなんでしょうけど、こういう日本の美意識は何処へ??
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平等院鳳凰堂。確か行った事はないはずで初めてでしたし、外部の改修をしたところで創建時に近い鮮やかさが見られるという事で行って来ましたが、三十三間堂などでも思いましたが、仏教美術って西洋に全く劣らないというか、ずっと深くて繊細なんじゃないかと改めて思いました。身体の傾きや指の微妙な形の全体として与える印象なんて、バレエとかの芸術に通じる意識を仏師がみな持っていたんじゃないかと思いましたし、その文化度の高さはやっぱり今と比べれば格段に高いものだと言えると思います。

アップし出すとキリがないですが、宿泊は、改修系のこじんまりしたホテルでしたが、ひとつは鴨川に面していて、夜も朝もとても気持ち良く過ごせましたが、環境の良さと、住む人やそのデザインを手がけた方たちのセンスの良さと意識の高さがあるから、街並もやっぱり美しいですよね。

まあとにかく、良いリフレッシュになりましたので、またこれから現場や設計に入る物件もそれなりにありますので頑張って良いものをつくってゆきたい!と思っています。
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by Moriyasu_Hase | 2015-05-18 14:30 | けんちくーみる

「わざ」から知る

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しばらく前に、菊竹さんの「か、かた、かたち」ような事をネットで調べていたら、太極拳と関連させて、つまり誰でも模倣できる「形」を、繰り返す事で、いつしか深い意味をともなった「型」になる、という書き方がされていて、そこで参照されていたのが本書でした。
その時思ったのは、野球の「素振り」。どうやら大リーガーはしないらしく、球打たなきゃ意味ないじゃん、と考えるらしく、でも剣術で素振りを繰り返して来た日本人には素振りはやっぱり意味がある事なんだと思いますが、それが世界の王を生んだとも言えますし、相撲でも柔道でも、茶道でも、まあ基本構造は「形」を無批判に繰り返す事を求められ、いつしか自分の血肉となった「型」となるという意味で日本文化のベースだと言っても良いでしょう。本書でさらに西岡棟梁がいかに弟子に伝えたか?が書かれてましたが、要するに何も言わない。鉋屑を渡して「こうやれ」でおしまい。それが意味するのは教えたくない訳でも何でもなく、教えられるものじゃない、身体で覚えるしかない、という事ですよね。
また、原ひろ子さんという方からの引用だそうですが興味深い部分を
「ヘヤーインディアンの文化には『教えてあげる』、『教えてもらう』『だれだれから習う』『だれだれから教わる』というような概念の体系がなく、各個人の主観からすれば『自分で観察し、やってみて、自分で修正する』ことによって『○○をおぼえる』のです」と。
ここで僕の好きな動物の喩えですが、渡り鳥の群れや、すごい泳ぎ方をするイルカとか、彼らは数年以上生きるので、先輩格の姿をみておぼえ、と、その連鎖をする事によってあの高度な行動ができていると僕は思うのですが、それと変わらないじゃん、ということですし、人間も近代以前くらいまではそうやって色んな事を身につけて来たんじゃないかと思います。
上記の引用に戻りますが、近代以降は、教えるべき学問、という体系があり、それを教える教師というものがあり、という感じで頭と心が引き裂かれてしまったけれど、本書の「わざ」というのはそもそも心身が切り離せない一体のものだからこそ到達できる深み、というのは頭と心が引き裂かれた私たちには決して到達も、もしかして理解さえもできないのかもしれません。
でも、それって運動とか芸術活動とかだけの世界じゃないの?という突っ込みには、みんなで音読をしたり、暗唱をしたりという事が、きっと知識を血肉化する方法だったのでは?と返しましょう。

この歳になってやっと水泳が楽しくなって泳ぐたびに上達したな〜って嬉しがったり、下手なギター弾いたり、波乗りしたりw。。最近やっとそんな精神的な余裕ができたからか、地道に継続する事で得られる歓び、みたいなのをやっと実感できる歳になったから余計こんな事を思うようになったのかもしれません。が、やっぱりすごく大切だと思いますよ。
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by Moriyasu_Hase | 2015-05-13 17:57 | みるーよむーかんがえる

新建築5月

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としまエコミューゼタウン。下層に豊島区庁舎、上層に分譲マンションという再開発事業だそうですが、僕は単なる分譲マンションの区分所有でさえ大きな問題を孕んだものだと思っていますがさらに区庁舎と合わせるなんて、と違和感を感じましたが「1棟化することの問題は区も含めた区分所有建物になることであり、特に建替えに関する合意形成が可能かという天は大きな課題である。われわれはこの答えを探して時間を冗費するよりも、議論の場と時間を用意することによって次世代の知恵に委ねる選択をした」と書かれていて、ちょっと唖然としました。まあ日本的な問題先送りですが、誰が責任とるの?と。またそんなプロジェクトが表紙になるのも??ですね。

右下のは青木淳さんの「三次市民ホールきりり」。蛇行する川が近く水害に良く遭うのでと、コンペ要項にはないけど全体をピロティで持ち上げて、その分仕上なども簡素化して、ピロティは普段は「余白」として何かのためというわけでないけど、「人を受入れてくれる」場所となり、そんな余白は公共建築だけでなく建築一般に必要では?と投げかけられている。
広大なピロティ分のコストを下げるためもあり、新築なのに素っ気なく配管なども出ていたりしていわゆる新築に見えないこともあって、何か違う用途の古い建物を改修したようにも見えるんだけど、それがさらに「原っぱ」的でもあって青木さんらしい建築です。
「余白」というのは今まで青木さんからも聞いた事がなかったように思うけれど、あそびというか無駄というか、それが全くない合目的的なものってなんとなく息が詰まりますよね。人生もだけど。
そういう意味では表紙の方のやつみたいな建築って、全てが合目的的に、つまりなぜその形になっているのかが説明されることを求められるし外観設計をした隈さんも言葉で説明するのがお上手なので、さらにそういう「余白」的なものが感じられないから軽薄に感じちゃいますよね。
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by Moriyasu_Hase | 2015-05-05 15:14 | けんちくーよむ

計画中2つ

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まず2世帯を別棟で建てるという初めての経験ですが、2つの建物がどんな余地(外部)をつくりつつ向かい合うか?というのは2世帯を1つの建物に押し込むという前提より、なかなか考えてしまう事が多く、ちょっと思い切ったバリエーションも考えてみようというのが左の細長いものを並べた案です。こう見るより結構長いので現実的には面積の割にコストがかかりやすいのと敷地の巾も限られた中窮屈な感じはありますが、案としての面白さはあります。
右はまあ妥当に外部空間を残して程よくそれを共有する感じですが、奥の家のアプローチが延々長い、というのが気になる所だったので左の案をつくった面はあります。もう1案既にお渡ししているのは右案の手前の棟を90度回したような、2棟の間に広い中庭があり正面で向き合うような案でしたが、それぞれかなり違うものになっていて、いやまだ他にも良いアイディアがありそうだから考えなければ、と思っています。

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次はこの手前と向かって右が道路で、広めの敷地なので平屋にして植栽を沢山植えて、四季を気持ち良く感じられるものを目指しているプランですが、車などもそれなりに通るので、デッキの面した大きな窓を90センチほど凹ませることによって、多少洞窟的な落ち着きを持たせられないかという案です。
見晴らしは良いんだけど、しっかり守られている感がする空間って、動物(つまりいつ的に襲われるか分からない存在)にとって、本能的にも心地が良いはずですし、実際うちもそういう場所でやっぱりいいな〜と日々実感していますw

春でバタバタと竣工ラッシュが終わり、そしてまた新しい仕事がいくつか動き出す。今まではそれほど春に集まっていなかったのですが、今年は特に集まってます。
どちらもまだこれからです。少しでも良い案に育ててゆきたいと思います。
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by Moriyasu_Hase | 2015-05-01 18:32 | けんちくーしごと