今度の日曜、3/8にオープンハウスを行うのですが、年度末は業者さんも急がしいようでバタバタしてます^^; 3、4月で4つ竣工する上に、どこも工期に追われてしまい疲れる日々ですが、より良い形でそれぞれを終わりたいので、今月は頑張りどころです。 ここの、ガレージの前は透けたフェンスでしたが、少しガレージ部の屋根のスケール感を落としたいのもあり、穴あきレンガの塀を追加頂けたので、良い感じになったと思います。 ガレージ部分は鉄骨なのでこんなすっきりとしてますが、特に今回はいつものように構造材を見せずに軽やかにやっているのでまた違った雰囲気になっています。 直前ですが、ご興味あればご案内しますので、ご連絡ください。 #
by Moriyasu_Hase
| 2015-03-05 14:23
| けんちくーしごと
以前はご縁などあってそれなりに仕事をさせて頂いてましたが、久々に静岡市の仕事をさせて頂く事になりました。 2世帯ですが、今のところ別棟でということでこんな模型ですが、増築のようにつなげるのではなく、新しく2つの建物を別につくるということは、やっぱり同じ2世帯でも1棟の中での関係性をとるのとはだいぶ違うというか、中庭型などで複雑な形の建物でもそれは一つの生き物というか、まとまりのあるもので、こうやって2つに切り離すといくら同じ素材とデザインでつくっても2つの生き物が向かい合うようになるというか、その距離感などをより気にしないといけなくなるように(僕は)思います。 設計はこれからですからどう変化してゆくか、楽しみです。 ところで、3、4月で4つの竣工を向かえるので今バタバタしてますが、逆にいうと終われば手が空くのですが、この住宅もふくめいくつか動いてくれそうで当面は忙しそうなのですが、色々思う所があり、まだ?40代で体力も気力もある間にもう少し仕事を増やしてもいいかなと思っています。うちの事務所ももうひとりは座れる場所があるのに今増やさないでどうする?というか、そろそろホームページも古く(もう14年経ちますし当然)リニューアルもして、もう少し(だけ)アピールもしようかな、なんて。 ということで1名スタッフ募集しようと思います。といってもすぐではなく、まあ来春までには、というところかな。でも来春に忙しいかどうかは分からないので、入ってもらったはいいけど仕事がない、なんて事もあり得る訳ですが、良く言われるように、いや自分も過去に本当にそう感じた事もありますが、人を増やしたり攻めの気持でいると仕事は来るし、逆も然り、と不思議なものですが、気持が出て伝わるものなんでしょうね。 という事で、もしご興味のある方がいましたらご連絡ください。 #
by Moriyasu_Hase
| 2015-02-28 09:52
| けんちくーしごと
以前も書いたと思いますが、設計と施工を突貫で進めてきた施設、障害福祉サービスの「まぐねっと」です。4月の開所に向け、外構も広いのでまだまだバタバタですが、何とか無事終わらせたいです。
向かって右は、店舗、地域交流スペースで、入所者さんたちがつくったものなどを販売していたりもして、地域に親しまれる施設になってゆくことを願い、大きな軒下をつくって、地域の縁側、的にしました。 長辺30mもある軒でして、やっぱり住宅とはスケール感が違うなあと改めて感じました。この写真では分かりにくいですが、内外の天井が杉で、サッシを天井まで届かせることで、内外がつながって見えることで、施設の内外や、室内同士を緩やかに繋いで感じさせる事を狙っています。 3月4月と竣工が続くので少しバタバタしますが、良い緊張感ですね。 #
by Moriyasu_Hase
| 2015-02-25 09:18
| けんちくーしごと
新聞の書評で気になり読んでみましたが。すごい!是非読んで欲しい! 読んで改めて感じるのは、人間って自然を飼いならし(たつもりだけのところもあるけど)自らつくった環境に身をおくことで、結果様々な感性を鈍らせるというか、そんなに鋭敏でなくても良いようにしてきていると思うし、確かにそれは人間がこれだけ増えて繁栄?するために必要なことだったと思うけれど、「それ以前」の人間ってどうだったんだろう?という事を考えさせ、感じさせてくれました。 彼女は1899年に生まれ、若い頃は文学も随分やり、才能もあったようですが、詩人で小作開拓農民の三野混沌と結婚し、「懇親の血汗を絞り」ながらも敗戦後の混乱のさなか「生活の重荷、労働の過重、6人の子女の養育に、満身風雪をもろに浴びました」「貧乏百姓たちの真実のみ」であり、「底辺に生き抜いた人間の真実の味、にじみ出ようとしているそのかすかな酸味の香りが仄かでいい、漂うてくれたらと思います」とあとがきにあるような生き方でした。 本人は書くつもりもなかったけど、周りが書くべきだと推したから残ったようなものだろうけれど、この1冊には大正11年から昭和49年まで、ほぼ彼女の人生を横断する短篇が入っているので、その生々しい生涯をとても感じる事ができます。 特に共感するのは、多分、僕の父方の祖母も、女手一つで、息子5人を、正直ほとんど語ってもらったりしてもらった事はないのは残念というか、敢えて語りたいとも思わないんだろう、農業をしていたようで、随分苦労もあっただろうし、辛い思いも沢山したんだろうけど、だから僕も生きていられるわけで、というのもあり、なんだかとても心に響きました。 生な世界と裸の心身、というのか、そんな状況だと、手袋を外して直接触るというかそれこそ皮膚まではがして握っているような本当の生な感性になるのかもしれない。それも日々生きる事に本当に追われて走り続けるしかないような状況だからよりそうなのかもしれない。お互いそんな風に生きている同志だから「人間同士の心の奥に流れあう凄まじい信頼」なんて言葉がでてくるんだろうな。現代はみんなそんな真剣に生きていないし、社会や親でもナメて生きている同志からは決してこんな言葉は生まれてこないんだろうなと思う。 ご興味を感じたら是非読んでみてください! #
by Moriyasu_Hase
| 2015-02-18 18:46
| みるーよむーかんがえる
先日のドーキンス的なのが恐らく進化論で正統とすれば、今西さんは少し異端的だと思いますが、前も「進化とはなにか」をここにあげたと思いますが、大学の頃から今西さんの方が正しいと感じてきて、何故自分がそう感じるのか、もう少し分かるかと本書を読んでみました。 思ったのは、たとえばDNAが全て解読されたところで、人間や、私自身の本質にはたどり着けなくて、結局は本書の「自然観」つまりある種の思想をもって本質を感じるしか無い、という意味では、前者やドーキンス的なものは科学者の行いであり、今西さんは思想家なのだろうな、と思いましたしだから今西さんに賛同するんだろうなということです。 今西さんは、例えば本流の考え方である、突然変異がランダムに起こる、という事に異議を唱えていて「設計主は、生物の進化論であるかぎり、生物にあるに決まっている」「個体がバラバラに、でたらめな突然変異をするのではなくて、どの個体も、多少の後さきはあるにせよ、みな同一の突然変異をするのでなければ、話があわない」と言っていて、僕は恐らく大学時代にそれを読んでからずーっとそう信じているように思う。 今西さんは、山に登り、四季折々の渓谷を探検するのが何より好きだったようで、他方都市的な人工物には興味がなく、だからカゲロウや猿の研究をしたりアフリカなどに行ったりしていたそうで、つまりは子供の頃の好奇心と感受性をもち続けたと言うのかもしれないけれど、結果として「人間も生物の延長にすぎない」とか「生物もまた人間と同じように主体性を持ち」という思想、といっても東洋的であるに過ぎないと言えばそれっきりだけど、一流の学者にしてそれを貫けたからこそ評価もされているんじゃないかと思う。 あと読んでいてなるほどなと思ったのは、人間はかつてまだ原始的な社会を営んでいたころまでは「社会外的な環境に対する適応」をしていればつまり自然の摂理に従っていれば良かったのに、今では「社会内的な環境に対する適応」をしなければいけなくなっている。つまり色んな法律や道徳やルールに従ったり、人間関係に必要以上に苦労したりしなければいけない世の中だけど、日本の庶民レベルで言えば、100年も前なら、結構前者だったはずだし、今の窮屈な僕たちよりずっと良かったかもなあ。ということです。 何故進化とかに興味があるかと言えば、やっぱり冒頭の言い方をすれば知識が欲しい訳では決して無くて、僕なりの「自然観」「人間観」を持たないと設計はできないと思っているからなんだと思います。 #
by Moriyasu_Hase
| 2015-02-15 13:45
| みるーよむーかんがえる
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