1966年のSF映画。読書というものが、人間に要らぬ邪念を抱かせるとして禁止された社会が描かれています。華氏451度は摂氏233度くらいらしく、その社会では本が見つかると燃やされるため、焼き尽くす温度であるとの台詞も。 小説は単なる仮想の夢想として、哲学は単なる思い込みとして退けられ、個人が余計な事を考えるな!という社会なのですが、アホらしいと言えばそれっきりですが、僕には色々考えさせてくれる映画でした。 例えば働き蜂はOneForAllでしかなくて、何かを疑問に思う事はないけれど、でも不幸でもなんでもない。 一方で、人間は利己的、自己中心的にものごとを疑い、幸せと思う事もあれば、不幸を感じる事の方が多いような。さてどちらがベターなの?と言われてハッキリ答えられますか? もちろん検閲社会が良いなんてつもりはなくて、人間に生まれたからには考えざるを得ず、でもその考えるという力を、もっと前向きな力としていかなければいけないんじゃないかと。 この中ではFiremanというのは本を焼く仕事になっていて、台詞の中で、Firemanは昔火事の火を消す仕事だったんじゃ?と聞かれ、耐火建築は燃えないし、そうでない建物は壊されるべきだ、なんて会話も面白かったです。つまりものごとを考えず、数年前の事も覚えていないようになっている。 最後には、Firemanの主人公が出会った不思議な女性の影響でものごとを考え始め、書物の世界に入り込み、社会から追われる、という結末。 引越を前に疲れ気味の日々。。活字は余り入らないから、映像についつい。。
by Moriyasu_Hase
| 2010-09-08 23:31
| みるーよむーかんがえる
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