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建築ジャーナル/新国立競技場について

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地味ですが真面目な専門誌です。新国立競技場案については珍しく建築界も波立ってまして投稿を募集していたので送ったら載ってました。
ゼロから見直せやら、改修すれば良いやら、コンペ案通りにやるべきだ、やら色んな意見がありそれぞれもちろん一理ありますが、問題の根本は?という事について。
都知事選、誰になるかによって大きく方針は変わるでしょうけれど舛添さんなら既定路線でつまらないので、田母神さんか細川さんが立つとすごいなあ。やっぱり東京は中心だから田母神さんは選ばれにくいだろうから、是非細川さんに!!と期待します。

以下原文です。
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槇さんが言われた事はもっともな事だと思いますし、それもあってか規模の見直しが表明されたのは良かったにせよ、一番の問題は、このような国家的なプロジェクトでさえも国民の声や、本来それを代弁すべきであるはずの建築設計者たちの声を全く無視したまま進行してしまう、という事であり、それを解決すれば、槇さんが指摘された事たちは必然的に解消されるはずですから、まずはその一番の問題点について徹底的に追及しなければ今後も同じような事が繰り返されるだけのように思われますし、経済力が落ちる今後の日本にとっては致命的な事にもなりかねません。
多大な資金をつぎ込み、維持管理にも多大な費用がかかり、日々多くの人々が使用し、嫌でも目にするような巨大な建築物であるのに、であるからと言うべきかもしれないですが、当事者として本当にどの程度のどんなものが欲しいのか?を誰1人判断せずに、縦割りにされ、身勝手に判断され部分が寄せ集められて出来てしまう建物が健全であろうはずはないけれども、設計者であっても基本的なプログラムが出来てからしか関われないように、誰1人として「当事者」とは言えない状況でつくられているのではないでしょうか?それは政治においても同様のようですが、西欧では自ら勝ち取った権利としての公共であるとか議会というものが、日本には単に形式として輸入されたために、喩えれば、乗りこなすべきの自動車にひきずられているような状況に見えます。
建築の世界で気になるのは、国内需要が減りアジアなどの急激な発展の中で、もう国内は良いから海外へ、とか改修の時代だ、とか言われますが、新築で建ってゆくものでも、まだまだ建築設計者が健全に関わり切れていないものが大多数ですし、国や地方自治体に働きかけて、設計業務の前後で本来設計者が関わった方が良いような仕事はまだまだあるはずなですから、そこを放っておいて海外だ、改修だ、というのは単なる逃亡に思えますし、そんな事をしているから今回のような問題がなに一つ解決しないのでしょう。

問題は余りに大きく根深いため、本来は設計者の団体が団結して取組むべきですが、残念ながら現実的ではないようなので、まずはそれぞれの設計者が、槇さんがやられたように、当然自分の仕事やそうでなくとも「本当にこれで良いのか?」と常に問い続ける事から始めるしかないと思います。そしてお互いの仕事に口出しをできないような仲良し団体の既存組織こそ根本的に意識を変えなければ、やはりいつまでも政治からは相手にされないままでしょうし、一般の人たちには分かりにくい世界でもあるからこそプロの設計者同士が遠慮なく批評をし合い、それに耐える仕事をする努力をするべきだ、という厳しいようで本来当たり前の事をして来なかった事が招いた結果ではないでしょうか。
by Moriyasu_Hase | 2014-01-08 09:13 | けんちくーかんがえる
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