竣工ー内部

f0157484_221246.jpgf0157484_2212841.jpg
中庭的につくる場合、やっぱり中庭というのは贅沢な作り方なので、いかにその価値を高めるか、つまり、そこに接する空間が、いかに中庭に接していることによって、魅力的になるか、という事をもちろん考えます。
また、室内が中庭を介して向き合う事になり、それぞれ向かい合う空間というのは、もちろん住宅に必要とされるある部分です。家族が集まる空間、親の空間、子供の空間、移動する空間。
そして、中庭を介して面するということは、2枚のガラスを通してつながりますが、そのガラスの反射する性質が適度に光線、つまり視線を拡散してくれたりもして、なんとなく、家族というものには程よい距離感をつくるような気がします。
日本の昔は、襖一つで全ての部屋が接していたりして、気配がすごく近く感じられるー感じてしまう空間だったわけで、そんな中で「個」という発想は希薄だったんでしょうね。でも、アメリカナイズされてしまって、民主主義だのいいながら、結局は押し付けに近いような意識が日本にも蔓延してしまって、そんな中で、どんな人間の距離を建築がつくるべきなのか?

建築が人間の意識を支配できるほどの力を持てる訳ではありませんが、間違いなく無意識レベルで人間の意識に影響は与えます。だから、私たち建築を考える人間はそれに意識的でなくては失格なのですが、でも、何が正解かなんていうのは無くって、ただ、やっぱり建築をつくる根本には、そこに人間が集う理由を問わなければならず、学校なら学びたい心が集まる所だし、事務所であれば「職」というのを全うするための場所だし、という感じで「住宅」は??と考えると、実はそう単純ではなく、なんで家族が集まっているのか?一緒に居るべきなのか?というのは学校や事務所のように同じ目的をもつ人間が集まるのとは意味が違います。

端的に言うと、弱い部分があるから家族が必要とされています。例えば子供や老人。
だから自立した状態の構成員だけなら、家族でなくても良い。と過激な事を言いたい訳ではなくて、やっぱり子供や老人は誰でも通過する訳ですから、彼らを育て守らなければならない。かと言っても、ただ丸い空間だった竪穴式住居だって、きっとそんな役割は十分果たしていた訳で、逆にいうと、個室化している今の住宅の方が、その役割が果たせていないのだろう。
それでも、これだけ煩わしいことばかりの現代社会。情報があふれ、誘惑があふれ、危険があふれ、時間に追われ。。。そんな中で、やっぱり帰る場所がないのは人間には耐えられないものだと思う。
それは一人でもいいし、家族とでもいい。
でも、そんな煩わしさから解放される時間が欲しいんだと思うけど、多分窓一つない、自然や人の気配が全くない空間ではその気持ちは満たされないんだと思う。
解放される気持ちは、どこか守られている事があるから感じられる事で、砂漠の真ん中に取り残されたら解放されたなんて思えず、でも洞窟や洞穴を見つけてそこに落ち着き、外の景色がきれいに見えた時、なんだか解放された気持ちになるのかな、と思う。
そして、そんな住宅をつくりたいと思っています。

え?回りくどい(^_^;)
性格ですねえ。。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2008-03-03 22:45 | けんちくーしごと
<< 新建築3月号/石上純也さん 生物と無生物のあいだ >>