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音楽〜建築

余りテレビは好きじゃないとか言いながら、Mステで昭和と平成のベストなんとかという特番をやっていてみてしまいました。
ドリカムがもう20年かあとか思いながら、出たばかりの頃に、吉田さんってなんて切ない声を出すんだろうって思った記憶がいまだにあったりして、やっぱりその後ずっと求められ続けていますが、でも一方では消費されてきた歌手の多い事は言うまでもないでしょう。
「テレビ」と関わった以上は全ては消費される運命にあるのは超えようのない事実ですが(だってCM収入によって成り立っているので)それでも長い間存在していてくれる歌手や、役者などが居てくれるということは、なんだか「懐かしい」というか心の安定を与えてくれるもので大切にしなきゃいけないと思います。
それは受ける側の気持ちですが、逆に与える側(つまり歌手とかの側)に立って考えると彼、彼女らはなんで消費されずに存在できているのか??というのは僕の仕事の建築をしている事にも共通する大切な事だと思ったりもします。
で、歌手の話に戻ると、長く一線にいる歌手というのは、とても自分たちのスタイルで、流される事なく、楽しんで歌っているように見えます。そしてそれが何より大切だと気づかされます。つまり、真実は外に在るんじゃなくって、自分の内の深い所にしかないんだという(飛躍?)。

まあでも、この消費社会では「踊る阿呆にみる阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というか、踊らされるんじゃなくて、自ら意識的(ここが大切)に踊るというのが良い生き方なのかも知れませんね。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-30 22:12 | けんちくーかんがえる

配置をどうするか

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新しい提案なんですが、その敷地のなかにいかに「配置」するかということがとても大切で、そして難しいことだなあと実感しつつ悩み、結果正方形の平面を少し斜めに回転させて敷地に配置してみました。
L字やコの字またはロの字の平面にして庭を囲うような事も多いんですがそれが常に相応しいわけでもなくて、今回もそんなプランも考えながら結果このシンプルな形に落ち着きました(と言ってもまだいろんな可能性は残されていると思いつつ)
日本の土地はなんでこんなに高いんだろうと思いつつ、でもせっかく手に入れたその土地をいかに良い形で使おうかと考えた時に、4方向にできるすき間(民法上隣地境界から50cm空けることになっているため出来ざるを得ない)がただのエアコン室外機置場くらいにしか使われない無駄で暗い空間になってしまうのは忍びないと思うのは自然なことで、そこを生きた空間にできたらいいなと思います。
ただ、気持ち良さを理屈で言えないように、この配置が良いかどうかも理屈ではなくて、試行錯誤の結果で生み出されるものでしかないし、でもその試行錯誤も無闇やたらしてもダメで、何らかのルールを自分の中に設定した上での試行錯誤が必要かなと思いますし、そのルールこそが我々プロの意識に関わる大切なところだと思います。

何だか分かりにくいような。。でも単純に、僕たちプロが本当に「良いなあ」と自ら思えない設計は良い結果なんて生まなくて、でもそれはなかなか簡単なことじゃなくて、プロとしての自分なりの理念を持ちつつ、それぞれの敷地に真剣に向かい合いつつ、そして努力が報われれば得られる結果なんだと思います。
良く書く言葉かもしれないけどそれはどんな職業でも同じだと思います。もちろん総理でも議員さんでもね(^o^)
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-27 22:25 | けんちくーしごと

みんなのいえ

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もう随分昔の映画になりましたが、当時は冷めた目で見ていましたが、なんとなく観てみる気になり、観てみました。本もそうですが、受け止める側の気持ち次第で感じ方も随分違うもので、素直に観たり読みたいと思える時に受け入れてみるのが良いものです。
まあ基本喜劇ですからアホらしい部分があって当然だったり、プロから言わせればあり得ない!と思う部分があるのも当然でしょうけど、これから家をつくろうと思う人は観ない方がいいだろうな(と昔の映画なので今更ですが)思いました。でもそんな事言い出したらキリがなくって、「みない方がいいだろうな」というCMや本や番組、そんなもので溢れている世の中なので、個別にそんな心配をする方がアホらしいのかもしれない。。
まあ大事な事は一歩引いてみる事ができる事です。
今読んでいる本の中で、どんな問題でも緊急に考えるべき部分と、もっと本質的なレベルで考えるべき事が同時に存在していて、つねにその両側面を考えるべきだ、みたいな事が書いてあって、例えば家をつくるというのは今そうしようとしている方には緊急な問題でもあり、でも確かに本質的にもっともっと長い時間の中で考えるべきこともあり、という事ですが、ついついそのどちらかに視線が向いてしまっていることが多いですよね。
この映画も、まあそんな緊急な視線で関係者一同がドタバタし、喧嘩しつつも最後にはどこかそんな本質的な所で共有できるところをお互いに感じてハッピーエンド、みたいな感じでした。
言い換えるとお互いの立場を超えられない同士がいがみあっていたけれど、ちょっとだけお互いの立場を感じる事ができた、みたいな感じかな。
でも、どんな事でもそうですが、自分の立場を守る前に、お互いの立場を知ろうとする事から始める事が何より大切なんだと思います。僕もこんな仕事をしていて特にそう心がけているつもりがついつい自分の立場に寄ってしまった時にはやはりうまく進まなかったりしてしまいます。まだまだ修練が足りないなあって感じます。

でも、東大寺の南大門の梁の上に炭壺(大工の大切な道具)が見つかったという話があって、大工仲間の中では、それは神様と自分だけが分かるようにわざと置いて来たのだと、つまりはその大工は誰かに自分の仕事を誇りたいのでなんでもないけれど、とてもとても誇りを持ってその仕事を終えた、みたいに思われてる、という話があってとても大切な話だなあと思いました。

神も仏も(ついでに言うとサンタさんも)、自分の外に居て何かをしてくれるのではなく、自分の奥深くに居ると信じれば居るわけで、それは頼れる相手ではなく自ら追求し発見するべきものなんだなあと思ったりします。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-23 23:43 | 住まいをつくるとは

現代建築家を建築家が

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「すでに神格化され、教科書の定番として殿堂入りした巨匠たちだけを研究対象にとりあげるのではなく、もっと同時代の建築家に目を向けるべきだと思っていた」という意識の中で大学の講義で話したことをまとめた本だということです。
その神格化された巨匠というのは、確かにとても歴史的な口調で、定説的に語られて分かりやすいようで、実はとても乱暴なイメージ化されてしまっていて、同じ建築を考えつくる側からすると、とても遠い存在に感じられてしまうというのは残念な事だと思っていました。
ただ逆に、この本はラファエルモネオという建築家がそれぞれの建築家について書いたものですが、彼の思うそれぞれの建築家像について書かれているのであって、上記の意味での定説的なものではないわけです(当たり前ですが)。
でも、それぞれの建築家に対して大変な賛辞を述べたり一方では批判したりして、評価している部分とそうでない部分がはっきりしているので面白くもあります。
まあでも相手が相手だけに、ある程度予備知識がないと読めない本ではあります。。

建築でも他の世界でもみんなそうですが、川の流れのように、今があるのは上流があるからで、そして下流も生まれるわけで、今の自分たちを知るには、少し前の事を知らなければいけないし、そしてそのまた少し前を‥‥、という訳ですが、社会の歴史の授業も古い方から始まりましたが、本当は現代から遡って考えるべきだという意味では、このような本から始めて遡ってゆくべきなんじゃないかと思ったりもします。

そして、歴史を語る事ができない人間には今を語る事もそしてもちろん未来を語ることもできないという事にもっと気づかなきゃいけないなあと、何かと感じます。

さっき「アメリカンギャングスター」とかいう映画のDVD見てましたが、麻薬の世界も恐ろしい乱れた時代もあって今がある(今でも変わらない??)んだなあなんて、今の世界は先人たちが一生懸命つくってくれたんだなあって思いました。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-18 21:33 | けんちくーよむ

オスカーニューマイヤー

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100歳にして現役建築家、すごい!年齢がすごいのでなはく、この年齢なのにまだまだ先を見て、先を求めているのが何よりすごい!
僕は、歳をとる程に謙虚になるような生き方がとても好きで、裏返すと昔の自分の仕事を自慢し、今は新しい仕事を試みようとしないような生き方は嫌いですが、そんな意味でとても尊敬に値する大先輩です。
年齢的に、モダニズム華やかな頃建築を始め、コルビュジェのアトリエにも居たそうで、確かにそんな匂いが漂ってはいます。でもなんだかブラジルというラテンアメリカのなせる技なのか、独特の楽天的なというと軽い感じに聞こえますが、生きる喜びを感じながら仕事をしているような所が、根本的にデザインに現れているのが大きな違いのように感じます。
国家的なプロジェクトを多く手がけたという意味でも、そして年齢的にも丹下健三さんと近いのですが、丹下さんの建築に漂うのは、厳しさや緊張感で、美しいんだけど、生きる喜びみたいなものは感じられず、結果としては愛される建築にはなっていないし、壊されてしまったものもあります。
丹下さんに限らず近代以降の日本の建築家に共通する部分なんだと思いますが、これは大きな問題かと。。
そんな生きる喜びみたいなのが感じられるのは、SANAAの建築かなって思いますが、そう言えば先月の新建築かな、妹島さんと西沢さんがニューマイヤーにインタビューしていたのは、何か感じるものがあったんだろうかな、と思い出しました。

建築を設計する上で、もちろん説明も理屈も必要ですが、建築ができてしまえば理屈は不要なんだけど、なんだか理屈しか感じられない建築が多いですよね。

健康に生きて、100歳まで仕事しなきゃ(^o^)なんて
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-16 23:18 | けんちくーよむ

2案並べてみると

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前回打合わせの方向の案と、なんとなくしっくり行かないところもあって、もう1案つくって打合せに行ってきました。
で、その模型を並べて撮ってみたのですが、自分の設計でまちなみをつくってみたいなあとか、やっぱり屋根のある家は風景をつなげる力があるなあ、とか思ったりします。
でもこの敷地はなかなか難しい敷地です。
周辺環境が結構込み入っていて、配慮しなければならない要素が多い反面、敷地が広めで自らの敷地の中に生み出される空地部分の可能性も沢山あるので、自分の中でもなかなかしっくり行くボリュームのつくりかたに至れなかった感じがしていて、でもこのあたりでしっくりと感じてきました。

でも敷地の大小を問わず、周辺環境にかかわらず、検討を重ねれば重ねるほど、なんとなくその地に建つ事への必然性が感じられるプランになってきて、確信をもって進めてゆける気持ちになってきます。

敷地を読むこともとても大切な一方、その形の安定感というか、何百年もそこに在り続けてくれそうな雰囲気というか、環境に左右されない部分もとても大切だと最近思います。

住まうことへの様々な条件や問題を、とても繊細に多様に応えるのではなく、とても単純なひとつの形で鮮やかに応えることができたら、上記のような安定性や、構造的な安定、そしてそれはつくる側にもつくりやすく、無駄なお金もかからず、でもとても気持ちよく住み続けることができるものができるんじゃないかと思います。

こんな不安定な時代だからこそ、限られた予算でも、いかに気持ちよく住み続けることができる住宅をつくることができるか、そんな事も改めて真剣に考えていかないといけないですよね。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-13 21:42 | けんちくーしごと

火と水と木の詩

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吉村順三さんの1978年の講演録を本にしたそうで、ついつい買ってしまうのは、言葉が素直にす〜っと入ってくる心地よさからでしょうか。同じような話は他の本などで読んではいてもついつい。
建築に対しては、自然に学び、歴史に学び、常に謙虚に、でも毅然と浮き世には流されず、というとても自然な事を自然と身につけられたのですが、その根源はやはり、火や水や植物、そして先人の残した良い建築に対して、大きな感動をし、大きな敬意を払い、それをとても高い目標として据えて、地道に追求してきたという態度でしょうか。

建築の世界のこの数十年は、建築家の言葉は分かりにくければ分かりにくい程、価値があるように捉えられてきた面がありましたが、今の時代、またそんな誠実な態度が見直されてきているようですし、当然の事とは思います。

また、以前に設計した旅館が、経営者が変わって全くダメになってしまったという話があり、ちょうど日経アーキテクチュアにこんな記事が出ていました。
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まだまだ新しく、価値のあると思われる建築たちが姿を消しつつあります。
もちろん建築家のエゴで出来た、使えない建築が消えるのはやむを得ないですが、これらのものは概ね、そうでない、良い建築が多いと思いますが、経済の流れ、所有者の変化、事業上の都合、逆らえない部分があるのは仕方ないとは思いますし、設計者にそれを超える力は持てないと思います。
ただそれらの理由は、全てをお金で測る事ができるという前提なので、そうではなくて、建築には人びとの感覚に訴え、記憶に残り、落ちついた気持ちで生きてゆく環境をつくるという、お金で測れない価値があるという事に為政者が気づき、国策として次の国民の為に行わないと、とても悲しい未来になると思います。
こんな話は長くなるのでこの辺で。。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-12 14:18 | けんちくーよむ

マザーテレサ/DVD

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僕は特定の宗教には属しませんが、「宗教的」なものに属する、つまりは、個人なんてものはとても無力なもので、でもとても大きな大きな存在があるという事を感じて生きているという事は、とても大切だと思っています。
マザーテレサという存在は詳しくは知りませんでしたが、上記のような意味で、「無私」の極地のような方で、言葉の中にも「人間って、組織に属していない方が幸せなのよ」という言葉もありましたが、キリスト教も結局大きな組織でもあり、そこから出て、一人の人間として、主の思し召しのままに、底辺の人たちのために生きた方でした。
「無私」であるということがこんなに大きなものだという気持ちで、素直に涙が出る映画でしたし、皆さんも是非借りて見てみてください。
世の中の良くない事は全て「無私」を忘れたところから起こっていると言って間違いないでしょうし、僕たちが、本当に心から満たされた気持ちになれるのは、そんな無私な気持ちに触れたときなんだと思います。

なんだか実行できない崇高な事を言っているようですが、そうではなく、皆さんの仕事にだって、僕の仕事にだって、無私な心で向き合い、周囲の人たちを満たすことはできると思いますし、本来、仕事っていうのはそうあるべきだと思っています。
僕も、建築の事を考えている時には、決して自分の虚栄心なんかではなくて、自分が消えた後に人びとを満たす事ができるような建築を作りたい!と思いつつ、まだまだ努力が足りないなあ。。なんて日々感じています。

それにしても、今の時代、こんな狂った時代だからこそ、宗教心(もちろんまともな!)とか、とても大きく超越的な存在というのを感じる必要があるように思います。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-08 22:34 | ひとって?

新建築1月号

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「上海環球金融中心」ですが、あの六本木ヒルズなどの事業主でもある森ビルの事業だそうです。
高さ492M、101階という巨大なビルが、「バーティカルガーデンシティ」という理念に基づき作られたとの事です。
その理念とは「建物を高層化し、空地を多く残して緑地や道路、広場を整備、施設には‥多くの用途を集約した複合都市をつくることである。これによって‥健康的で文化的、安全で環境にも優しい暮らしができる。これらの実現が‥森ビルの使命でもあり提案でもある。」ということだそうです。
また、このビルが「世界経済の変動に左右される事なく、国際金融の活躍の舞台として、‥人びとから永く愛されることを確信している」と結ばれています。

この理念や確信の背景には、一つの仮説が存在していると思います。裏を返せばその仮説が正しくなくなれば、この理念も確信も崩れるということです。
その仮説とは、合理的な存在であれば社会から受け入れられる、というようなものですが、でもその合理性とは100年程前にも確固としてあったものでしょうか?
そうでないとすると、100年後にその合理性が受け入れられているでしょうか?
受け入れられていないとすると、こんな馬鹿でかいビルが100年後に解体されるか廃虚化するのでしょうか。。

建設技術の向上で超高層ビルがどんどん出来てしまう一方、何だか人間性がほとんど顧みられず、「永く愛される」なんて事はないんじゃないかと感じてしまいます。

本当は、超高層をつくる意味は上記のような理念にあるわけではなく、賃貸ビルとしてのステータスシンボルなだけじゃあないのかな。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-04 13:23 | けんちくーよむ

広島2

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広島の続編です。丹下さん設計の平和記念公園の資料館のピロティから原爆ドームを撮ったところですが、良く知られるように、平和を象徴する軸線の構想、力強くピロティとして地面を解放する資料館、国家を象徴するようなプロジェクトを、とても象徴的な形でつくって来た丹下さんらしい空間です。
もう一つは、僕が好きな村野さんの平和祈念聖堂ですが、内部もじっくり感じてきました。丹下さんの何か強い「意志」を形にしようとする未来志向的な力強さと対比的に、過去や現実というものを村野さんなりに咀嚼して、今の時点でのあるべき姿を求めた結果として、逆に、時代が経っても色あせない、逆に時間がより魅力を与えてくれるような建築の在り方というのがとても好きなところです。

大学生の時の、もう15年以上前にどちらも訪ねた建築でしたが、実務者として建築に向かい合った後に、改めて訪れたいと思い行って来ました。

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その勢いでというか、ここも実は同じ大学のときに、ないお金を絞って背伸びをして泊まったホテルだったのですがイルパラッツォという博多のホテルに再度泊まってきました。アルドロッシの設計で、繁華街の那珂川のほとりに立つ、こじんまりしながらも濃密なホテルで、当時とても親切にもてなされた記憶も再度泊まりたかった理由です。
竣工20年近く経つホテルで改修前だったこともあり、確かに古びた感じでしたが、さすがイタリア人建築家というか石や木などの素材をとてもシンプルかつ重厚に、良いプロポーションでデザインしているからか、良い歳の取り方をしていました。

この3人の建築家は、それぞれ背景に持つものも違いますが、過去への眼差しと、未来への眼差しとの向け方の違いが、建物が古くなるほどに現れてきているように思います。
丹下さんというのは、戦後の日本の復興や成長という特殊な時代を背景としていますが、そんな事はもうこの先ないと思いますし、やはり、きちんと遠い過去というものに眼を向けて、自分なりに受け止めたことを、建築という形として、過去への積み重ねというものをしてゆく事が、建築をやる人間の責務だと思います。

好きな建築は、こうやって、たまに改めて訪れてみるもの良いものですね。
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by Moriyasu_Hase | 2009-01-04 01:21 | けんちくーみる