<   2009年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

新建築5月号

f0157484_2328759.jpg

伊東豊雄さんの「座・高円寺」が表紙だったのですが、どうもしっくり来ません。
インタビューの中で「特に芝居とか演劇は、劇場ではなくて屋外でやるのが理想かもしれない。。不自由さから可能な限り人びとを解放したいと思っているのです」と語りつつ、でもこの建築は逆の事を強いられたようで、伊東さんが何をやりたかったのか見えてこない。
もうひとつ伊東さんの台湾高雄市のスタジアムも載ってますが、高雄市からの要請でとても大量のソーラーパネルを使い、それを客席に対するスダレのような効果を狙って設置していますが、これはさらに何がやりたかったのか見えません。

すばらしい建築を沢山つくって来た伊東さんでも、やっぱり愚作も作らざるを得ないのかあ。。と。
僕は、建築って基本的には「共感」だと思っているのですが、まずは設計者自身がその建築に共感していなければ、言い換えれば、自分はそこにずっと居たいと思えるような建築でなければいけないと思います。
そして、伊東さんや安藤さんも、そして丹下さんなどの巨匠たちも、つくるものが大きくなって行く先には、やはりすべての作品に自分の共感を込める事はできなくなるのは不可避な事だと思います。
だから、住宅という規模の建築は、ほとんど全てを自分で把握でき、思いを込められるという意味で、自分の共感をひとつひとつ込められるものだと思います(住宅には限りませんが)

本当は僕は、独立した時から、もっと大きな建築を志していた面がありましたが、でも上記のような意味で、今は無闇に大きな建築に関わりたいとは思いません。
自分のエネルギーが及ぶ範囲で、少しづつ大きな建築もチャレンジできればなと思いますし、大きな建築でも隅々まで気持ちを注いだ村野藤吾さんのような例もありますので、諦めないつもりです。

ところで、ソーラーネタですが、日本はこれから太陽光発電に力を入れてゆくようで、僕も今設計しているものにパネルを設置していますが、税金で補助をしたり、売電価格を無理して高くさせるくらいなら、なんで国として大規模な発電装置を設置しようとしないのでしょうか?
住宅に細切れに載せてゆくよりはよっぽどスケールメリットもあって効率的だと思うのですが。
まあいろんな裏があることくらい想像できますが、聞いてみたいものです。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-30 23:47 | けんちくーよむ

日本の家/中川武さん

f0157484_22154338.jpg

なかなか良い本でした。
日本の住宅が持っていた様々な要素(縁側や襖、畳、などなど)の歴史からそれらが持っていた意味の深い部分を読み解き、今はほとんど失われかけているそれらの意味を再発見させるような内容でした。
単なる古めかしい遺物であればもう失われてしまっていても良いはずなのに、少ないながらも根強く残っているという事は、恐らく日本人の本質的な欲求を満たすものだからだと思います。
それを乱暴にまとめてしまうと「深み」と言えるかもしれません。
木材や瓦、三和土、漆などの素材の深み。
明かり障子や格子を抜ける光や陰の深み。
仏壇や地鎮祭のような存在が示す、死や神というものへの気持ちの深み。
その他日本の建築が持っていた空間の奥行きという深みもありました。

今の時代は全てがコンビニのように蛍光灯で隅々まで照らされたような時代であり、そんな「深み」は感じられない時代ですが、でもやっぱり、人間という存在には、そんな深みを感じられる事で心穏やかに生きてゆけるものだと感じます。
という僕も、5年も前にはこんな事は余り感じていなかったように思うので、年を取ったのかなあとも思います(^_^;) が、とても大切な事だと思っています。

もちろん、だからと言って、無批判に昔からあるものを受け入れるのではなく、私たちの祖先たちが、何を感じ何を考えてそれらのものをつくり、守り続けてきたのかを理解することと、今の自分の感性でそれらのものと向かい合う事で初めて、今私たちが何をすべきかが見えてくるんだと思います。
なかなか答えなんて見つかりませんが、でも、夜こんな事を考え、また次の日に良い仕事を目指して頑張るという毎日が今はとても楽しく感じられます。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-22 22:45 | けんちくーよむ

ドクトル ジバコ

f0157484_22482095.jpg
名作のリメーク版映画でした。
ロシア革命という、権力が大きくうねる中での、生き方の自由と言うか「言論、表現の自由」というものが大きなテーマだったと思いますが、表現や言論の自由というのは、今の社会ではとても基本的な事として当たり前のように我々は感じてしまっていますが、ロシア革命だけでなく、権力が大きく動く時代にはどの国にも、その自由というものが失われる曲面があったからこそ、その反省として、表現や言論の自由、という言葉が大切にされているんだと思います。

主人公のユーリ・ジバコは、幼い頃に父を失い、一人で生きて来た中で、体制という束縛に縛られない自由な生き方を歩み、ラーラと出会い、危険を恐れず愛し合うのですが、ジバコの父を死に追いやった財力、権力をもつ男がまた、ラーラの人生も狂わせていたという共通点を持ち、その男の存在と、その時代のロシアの権力者の力の濫用を重ねる事ができます。

私たち庶民は、そんな権力に押さえつけられて始めて、言論や表現の自由の大切さを感じるのだと思いますし、今起きているタイの混乱もそこに根があるからこそ、あれだけ激しい動きになっているんだろうと思います。
でも、一方の日本では、どんなに権力が腐ろうと「革命」なんて存在し得ないような馬鹿な国民だらけになってしまっていますし、そんなひとつの現れが北野誠さんの件なのか???良くわかりませんが。

そんなに騒がなくても平和だからいいじゃん!と言ってしまえばおしまいですが、様々な事に問題意識を持ち始めれば、小泉さんの革命なんてレベルじゃない、真の革命を起こしてもいいのではないかと思いますけれどねえ〜〜
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-17 23:14

国交省告示15号/設計料

姉歯事件後の様々な建築士業務の見直しの結果として今までの業務報酬の基準、建設省告示1206号の見直しが図られ、国交省告示15号として交付されました。
1206号も、昭和54年からあった割には一般の方には全く認知されていなかったのと同様、今回の改正も正直それほど知られてゆく事もないと感じますが、基本的に1206も15号もそれぞれ、実情の設計報酬とかけはなれた金額の基準であり、半分近いくらいしか請求がとてもできないようなのが現状ということもあり、医療報酬のように確固としたものでは全くない基準だったりします。
個人的な意見としては、額の多寡は置いておいても、全ての設計業務が同じ基準による報酬となるというのは、その設計者の能力などの違いやエネルギーのかけかたも様々なのが設計という事もあり一律に適用されるべきではないと思いますが、ただ、この告示までいかずとも、もう少し設計料というものの価値が認められ、きちんと請求しやすい環境に変わらなければ、日本のこのどうしようもない都市、住宅環境は決して良くはならないと思います。

実は、もともと1206号が作られた時にも、その基準が医療報酬のように、強制力を持つべきだという主張が設計業界からは出ていたようですが、もともと建築士法が昭和25年につくられた時に、設計と、施工を明確に資格として分離する方向だったものが、結局、日本古来の棟梁的な、設計施工一貫人びとを排除しかねない状況の中で頓挫してしまい、設計、施工、学者などが入り交じった「建築士」ができ上がってしまった時点で、設計料だけを取り上げてきちんとした基準を作る事は不可能だったんだろうと僕は思っています。

今、設計業界は、この告示15号を周知しようと努力していますが、その前に、設計と施工の分離をきちんと行わなければ何も改善はしないと思います。
国家で言う「三権分立」が分離されていないような状況にあるわけです。
もちろんゼネコンやハウスメーカーのように、設計施工一貫の日本独自のスタイルを今更否定するのは難しいですから、設計施工一貫で請けるのは認めるにせよ、設計という行為は分離をして、施主が設計料を払えば工事は他に頼む事ができるように、設計料をきちんと分離すべきです。
ゲーム機とソフトの抱き合わせ販売と同じで、本来それぞれに選ぶ権利を持てるべきなのに、それをセットにして消費者を欺いている面があるのは否定できないと思います。

まあでも、設計なんて概念がなかった時代に、今も残るようなとても美しい建築が生まれた事を考え、そして今の設計者の倫理観の欠如を思う時、問題はそう単純ではないと分かります。
全ては建築をつくるという事が「お金」の為になってしまったところに根っこがあると思います。
エコだ環境だって世の中騒いでいても、ほとんどが経済を活性化させるための文句でしかないような中、どうしたら、ひとりの設計者として、そんな時代に流されないでいられるだろうかと悩んだりしてしまいます。
そしてフッと思った事は、歴史に「もし」は無意味にせよ、もし日本が敗戦国になっていなかったら、今頃日本のまちなみはどんなだっただろう?と考えるのが何かヒントになるんじゃないかと言う事でした。また時間をかけて考えてみたいと思っています。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-15 22:35 | けんちくーしごと

プランが決まりました!

f0157484_2314523.jpg

期間はかなりゆとりがあったのですが、いろいろ悩み、やっとこれなら!という所にたどりつきました。
時間があった事もあって、敢えて様々な可能性をさぐった結果、自分でも少し価値観が混乱しかけてしまったのかもしれず、それで最後のプランまで時間がかかったのかなあと少し反省です。
でも、この、同じ大きさの正方形を対角線上にずらしたプランは、設計者としても思い入れのあるものになりそうです(もちろん他の設計しているものも全てですが)。

二つの正方形というのは、単に形としてもこだわった部分もありますが、ルイスカーンの「サーブドスペース」「サーバントスペース」ではないですが、プライベートな裏の空間とパブリックな表の空間を明確に2つのボリュームに分け、それも敷地や1階の半分がガレージになる事で2つのボリュームがスキップフロアになることで、その表と裏の空間に、ある気分の切り替えが生まれるように考えました。
もうひとつの、最後に比較されたプランが、東西に出来るだけ間口を広げ、シンプルな長方形のおおらかなつくりかたと対照的に、こちらは外部内部ともに変化が感じられる住まいとなると思います。

だた、ここまでも大変ですが、本当はここからが勝負で、今のイメージを、どこまで具体的に形にしながら、細部までより良くしてゆくかによって、この同じプランでも雲泥の差がでますし、そこにきちんと設計料を頂いている価値の多くがあると思っています。

世は不景気で何かと慎重な話ばかりですが、こうやってひとつひとつ良い仕事を積み重ねてゆけば、ちょっとでも皆さんやもちろん自分も元気になれるかな〜と思って頑張りま〜す。
仕事が忙しく仕事の事ばかり考えていると、夢でも仕事に追われて少し寝不足になったりする今日この頃です(^_^;)誰か安眠法教えてください!
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-09 23:24 | けんちくーしごと

ウィトルーウィウス建築書

f0157484_2341386.jpg

建築を学んだ人なら知っていながら、なかなか読んだ人は少ないとは思います。
でも、とにかく「すごい」と思います。
紀元前!20年か30年とかに書かれた書でありながら、今にこれだけ残されているというだけでなく、内容として、今の知識や技術から読めば当たり前のような事が、2000年も前から本質的に変わっていない!というところに気づけば、この本の偉大な価値が分かると思います。
10つの書に分けて、都市の構成や、材料について、神殿や住居のつくり方やそして日時計や機械類の事について記されていますが、建築という言葉は様々な技術を統合する存在であった事が伺えます。ただ、それらの知識は恐らくウィトルィウィウスの考えだしたものはほとんどなく、その時代までに蓄積された知識を体系的にまとめたようで、彼自身もそのようなものが今までなかったからこそ価値がある、というような事も書いています。
建築は、タクシス、ディアテシス、オイコノミアの3つによって成り立ち、タクシスは「全体的比例をシュムメトリアに即して整えること」、ディアテシスは「組合せによって作品の質を立派につくりあげること、建物の肢体そのものより生じる工合よき一致(シュムメトリア)」、オイコノミアは「材料や場所を工合良く配分することであり、工事の際の費用を計算によって細かく割り振ること」だと書かれています。
本質って変わらないものだなと、他の様々な部分でも感じましたし、今の時代に書かれた書物で、2000年後に、そのように評されるようなものがあるだろうかと考えてしまいました。もちろん建築も同じく、2000年後には、恐らく今の建築は無く、2000年前の建築が逆に残っているんだろうな〜と。
国交省が「200年住宅」とかいう名称を取り下げようとしていますが、そんな意志のない時代のものは何も永くは残らないでしょうね〜。
僕も生きている間に、今の時代の建築書でも書こうかなと、ちょっと真剣に考えました。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-08 23:35 | けんちくーよむ

プロフェッショナル/伊東豊雄さん

f0157484_22473272.jpg


出てましたね。
現在の建築の大きな流れは、決して安藤さんではなく、伊東さんが作ったんだと感じますが、その理由が何となく分かるような番組でした。
たまたまその前に、ベルリンの壁崩壊についてのDVDを見ていたんですが、結局人間って「自由」を求める生き物で、何かに束縛され、不自由を強いられる事に対して大きな抵抗があるようです。
伊東さんも、建築っていうのはついつい人間を不自由にしてしまうものだけど、人間に自由を与えるような建築を目指して来た方です。
この画像の「せんだいメディアテーク」がその出発点となった建築で、実際とても良い建築だと思いますが、そんな自由な建築を生み出すためには、恐ろしいエネルギーと、とても自由な発想が不可欠なんだということが分かります。
常に目標を持ち、常に問題意識を持ち、常にいろいろなことに触発されるような人間だけが、そんな事を実現できるんだなと思いますし、それを少しでも目指さないと、と常に思っています。
でも少し悲しいのは、多分、伊東さんって知らない人たちが多いんだろうなと。。
安藤さんは知らない人はいないと思いますが。。。
芸術や音楽ならとてもとても有名な位の存在なのに、日本という国における建築への理解の低さをなんとかしなければ。。。
まあでも、今の時代、有名なんていうのは、ただ商品価値として見られているだけだから、消費される運命にあるだけと考えれば、変に有名になんてならない方がいいんだろうな、と負け惜しみを言ったりしてみます。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-07 23:06 | けんちくーみる

Proof

f0157484_2324348.jpg

日本語タイトル「プルーフオブマイライフ」です。
精神のバランスを失った天才数学者の父の世話をしていた娘もまた、父と似て精神のバランスを崩しかけ、でも、父が亡くなる前に、共同研究の中から偉大な定理の証明を完成した。ただ、そのときに正気に見えた父が正気ではない事に気づいた娘は、その証明を封印してしまうが、父の弟子でもあった青年と出会った事でその証明を公にしようと決心する。
数学という学問は、「客観性」と切り離せない数少ない世界だと思います。
つまり、他のほとんどの世界は、「解釈」によって様々に受け取られてしまうので、誰が見ても明かな事というのはそれこそ「神」くらいになってしまいます。
まあそれは、「言葉」というものの曖昧さがもつ宿命なのかなと思いますが、でも逆に、様々な解釈があり、様々な価値観が生じる事で、人生というのは豊かで、懐の深いものとなるんだと思います。
だから、数学というのは、逆にとても厳しい世界なんだと思います。
僕なんかも数学は決して嫌いな方ではないけれど、人生をかけて数学に向かい合っていたら神経症になってしまいそうだと思います。
でもたまに、数学という世界の純粋さというか、例えれば、登山のように登るべき相手がはっきりしているような部分が羨ましくもあり、逆に言うと、建築なんて、何を信じたら良いのかがなかなか分からず、分からないうちに波に飲まれてしまうような悲しさがあります。

でも、その天才数学者を父に持つ娘は、数学によって人生を曲げられてしまいかけていたけれど、でもでもやっぱり、数学によって自分の存在を証明したというか、数学を通してしか自分を位置づける事ができないことに気づいて、やっと心の安定を手に入れたんだと思います。

人間誰しもが、自分の存在を確かめられるような何かを、心の奥でほしがっていると思います。
そして、努力すればしただけ、その存在は、良い形で証明されるんだと思います。

さあ、ぐっすり寝て、明日もがんばろ〜っと。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-06 23:24 | ひとって?

素直に〜

f0157484_22404167.jpg

設計中の住宅ですが、今まで、敷地に斜めに配置したり、十字形のプランだったりと力んだ感じのプランを考えていましたが、敷地に対して素直に配置した2プランをつくって打合せです。
どんなプランであれ「開くべき方向に素直に開く」べきだというのが基本としてあって、なかなか素直に開けないかなと思うとちょっと曲げてみたりするのですが、中途半端に曲げたり回したりしても、どれだけ良くなるだろうか??というのもあって、今回はそんな気持ちで素直に南に向かって開き、大きな屋根とバルコニーをつけています。
日本の宅地というのは基本的には、素直に南に開いたプランをつくるために作られているようにも思いますが、でもその当たり前さが、何となく平凡に思われて、世の中意味の分からないデザインが氾濫してしまっている訳ですが、やっぱりその当たり前さ、というのは日本という風土で、先人たちが、何百年、千年とかけて残してきたエッセンスのようなものなので、やっぱり本質が分かっていないような設計者が軽はずみに無視すべきではないんだろうと思います。

と、こんな当たり前のような事は多くの設計者が思い、語っていると思いますし、ある程度簡単に真似もできてしまう事なので、大切なのは、その上でどこまで心に伝わり、残るような建築を追い求められるかということだと思います。
世界遺産のような建築たちは、多分同じような価値観や形でつくられたものが他にもいくらでもあった中で、やっぱりどこかにより高い「質」をもっていたからこそ、千年以上も残されて、新たに価値を見つけられているんだと思いますし、次元が違う!と言う事なかれ、僕たちの仕事もそんな建築たちと同じ地平にあるはずだと信じて頑張らないと、千年の後に、僕たちの時代が建築不毛の時代と言われてしまうのだと思います。

ところで、新年度ですね。うちも新しいスタッフも増え、気持ち新たに頑張っています。
[PR]
by Moriyasu_Hase | 2009-04-04 23:01 | けんちくーしごと