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ウォレス・スティーヴンズ

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しばらく前に、ルイス・カーンがこのアメリカの詩人ウォレス・スティーヴンズに影響を受けていいると何か(思い出せない。。)で読み、カーンの思想は卒論でも少しかじったのもあってその後もそれなりに読んだりしていたのですが、カーンのあの思想が何に影響されて生まれて来たかについて書かれたものが余りなかったように思っていたので、興味が湧いて買ってしまいました。

ただ、正直僕は「詩」というものを語れる程でもなく、ましてやスティーヴンズという詩人を本書をざっと読んだくらいで語れるわけではないのですが、カーンが使ってた例えば「沈黙ーsilence」はスティーヴンズも主要な言葉として使っていたようだし、詩というものは多分、言葉というものが次第に硬直化してしまって失ってしまった、何か、生きるという事と生々しい関係であった何かを伝える為に存在するのだというと考えれば、カーンが語っていた事たちと「詩」というものが本質的に同じだったのだろうと改めて思いました。

そう。建築も次第に硬直化してしまって、最初は生きる、という事と生々しく関わっていたはずなのにそれを見失ってしまった。それを取り戻すというのは硬直化してしまった言葉をいくら並べても不可能だから、だからこそ詩人のように、詩のように語るしか無かった。そしてだからこそ頭の硬直化してしまった我々には簡単に理解できず、何言ってるんだろ??となってしまうんだと思います。

そんな文脈で,本書より少し引用します。
「実のところ、大人で自然を見る者はほとんどいない。ほとんどのひとは太陽を見ないのだ。少なくとも彼らはとても表面的な見方しかしていない。太陽は大人の目を照らすことしかせぬが、子どもの眼や心の中に差込むのだ。自然を愛する者とは内なる感覚と外の感覚が互いに未だ真に釣り合っている者のことだ・・・裸の地面に突っ立ち、私の頭は楽しげな大気に侵され、無限の空間に持ち上げられると、全てのちっぽけな自己中心癖は消えてなくなる。私は透明な眼球になるのだ。私は無だ、私は全てを見るのだ。大霊の流れが私の中を巡って行く。私は神の重要な一部となるのだ・・・静寂な大地において、特に遠方の地平線に、ひとは自身の本質とおなじくらい美しいものを眺めるのだ。」

何か伝わりましたよね。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-30 18:08 | けんちくーよむ

NATIONAL GEOGRAFIC12

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頂部が雷に打たれ枯れているにもかかわらず75Mもの高さがあるジャイアントセコイア。「プレジデント」と名付けられているそう。樹齢は3200年程らしいけれど、まあ気の遠くなる年月とサイズですが、人間がちっぽけな存在だと気付かせるためにまだまだ生きて欲しいものです。
ところで、最近思ったのが、地上や宇宙の事はそれなりに分かって来ていても、実は深海ってかなりまだ未知な世界があるんじゃないか?全く未知の知的生物が居たりして(まあないか)

あと面白かったのは、パプアニューギニアに棲む極楽鳥、全39種。皆さんも見た事があるんじゃないかと思いますが、やたら派手というか、メスの目を惹くために不思議なパーツや色や動きを持っている鳥たちなんですが、何故こんなことに?という裏返してみて、何故普通の鳥に限らず動物全般が地味なんだろうか?と考えると、この島はどうやら食料が豊富で天敵が少ない「楽園」だそうで、そうでない普通の環境ではそんな目立ったり,生殖時だけの不要なパーツが付いていたらすぐに食われてしまうからだ、と考えば分かり易い。つまりはどの生物の中にも本当は,環境が良ければ極楽鳥のように派手になりたいという欲求があるのかもしれない。その一部がやたら派手な服を着る方の理由かもw。

もうひとつ、メタンというか最近良く耳にする「シェールガス」
近年採掘方法がやっと確立されてきたのでアメリカなどは随分安くガスが供給できるようになっているようだし世界的にも無尽蔵に近いのかもしれないようです。日本ではまだ何となく対岸の話のようですが今の時代、世界経済や環境問題などでも随分大きな出来事なように思われるので、もう少し知っておかないといけないなあ、と改めて勉強させて頂きました。

他にも面白いネタはありましたが、なかなか良い雑誌ですよ。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-26 18:47 | みるーよむーかんがえる

瓦屋根の住宅

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今まで住宅だけでも50程設計させて頂いて来たのですが、実は全て屋根材はガルバリウム鋼板でした。
費用対効果とデザイン面で他のものはお勧めしなかったのですが、、今回、どうしても「瓦」!という事で費用面だけ理解を頂ければもちろん良い材料なのでという事でそれを前提に設計をしました。
つまり瓦だからこの形になった、という意味なのですが、まずは瓦はガルバリウムに比べて屋根勾配が緩く出来ず、また形が複雑になるほど仰々しくなりやすいしコストや雨漏りの恐れも(他の材もそうですが、それに増して)増えてしまうので、それをいかに良い方向に持ってゆくかというのが大きなポイントでした。
篠原一男も初期は結構瓦を使っていますが、さすがですが、ちょっと使い方をズラしているんですよね。軒高だったり、かけ方だったり。そうする事でありふれた瓦屋根と一線を画しているのだと思うのですが、形を真似するのではなしに、その「質」の部分をなんとか実現できないかなと悩みました。

これ以上は言葉にするのも難しいし、結果そう感じられるか次第なので、、後はディテールをきちんとやって、出来上がりで証明するしかないのですが、、となかなか高いハードルにしてしまいました。と言っても、何だか意味が分からないかも知れませんね。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-23 10:25 | けんちくーしごと

浜松城公園長期整備構想

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先日広報に(こそっと)載ってましたが「意見交換会」を開催するとの事で先日行って来ました。
先日、例の「セントラルパーク構想」が取り下げられたわけではないけどそう報道された事は書きましたが、その代わりにこの構想名となり、「歴史の継承・市民文化創造の杜」というテーマや基本方針はほとんど変わってもいないのに、何故か名前が代わり、小中一貫校、美術館、文化センター等施設の具体的な記述だけ(意図的に)抜いた形になったのと、それらは今後担当課が「熟度に応じて」進めていくそうなのですが、何故構想名が変わったり、施設については切り離して話を進めるかについては一切最初の説明にはありませんでした。
という事でそこはもちろん説明をしました。

名前が変わった事については、「浜松城公園」の方がやはり親しみがあるから、という妥当なようで、冷静に考えればそんなの最初から分かっていたじゃない?という説明で、何だかそれ以外の経緯については濁されて納得できる説明はありませんでしたし、もちろん(聞きませんでしたが)安藤案についても触れられませんでした。
またゾーニング図に「賑わいの場、文化活動の場」と、今駐車場になっているあたりに明記されているので、セントラルパーク構想の検討会では委員や市民からも美術館や新文化センターを建替える事自体や配置についても疑問が投げかけられていた中で、今後改めて市民が意見できる場はあるのですか?と質問したところ、「絶対とは言えない」というお返事でしたし、建てるのであれば、そのゾーニング図のあたりと考えているとの回答でもあったので、つまりは市民の意見を改めて聞いたりする事もなくそのゾーニング通りに美術館と新文化センターを建てるかもしれない。という事を言っている事にもなるわけですよね??

この一連のながれや、今回「意見交換会」という名で、最初に市側からいきなり、いきなりご意見も出ないでしょうから、皆さん公園を使われた事ありますか?使われた事が無い方に何故使った事が無いかお聞きしたい」としつこく振って来たのですが、つまりは難しい事は言わないで、聞かないで欲しいという意図が見え見えだと思うのは僕だけでしょうか?

入札指名願も出してないし、別に市に嫌われて今後一切市の仕事の設計なんて貰えなくても構わないから、まあこの件についてはネチネチとやるつもりです!と宣言しておきますw

と批判に終わってはいけないので。。
ただでさえ先が不透明な時代(民主党ー自民党というひとつをとっても)なのに、私たちの生活に、それも50年、100年をより良く使われ、大切に思われる、市のシンボル的な施設がどのように必要なのか?という事について、1、2年と言わずせめて5年くらいかけて、多少のお金もかけて、市民を巻込んでじっくり考えたって良いじゃないですか?
そこでかかる経費を多少多く見積ったところで、そんなプロセスでできる施設はその何倍,それ以上の価値を高める事ができる、と確信を持って言います。
だとしたらそうしない理由は??
ただ市長や、大社長、知事が何か早めに成果として残したいから?他に何かありますか?
あれば不勉強な僕に是非教えて欲しいです。

もちろん僕もそんな理想論を偉そうに振りかざせるような立派な人間ではありません。
でも、今後もずっとこの地に住み税金を納め、心豊かに生活してゆくためにはダメな事は変えてゆかなければならないし、専門的な事はその道の専門家が声をあげなければいけないのだと思います。
ただ残念ながら、建築設計者の属する団体は、業界団体的だったり、単なるサロン的だったりと本当に言うべき事が言えないようですし。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-21 17:18 | 浜松のこと

新建築12月

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千葉学さんの工学院大学125周年記念総合教育棟。
プロポーザルコンペで選ばれたのですが、「大学という場はそもそも多様な人の集まり方にその本質がある。。。多様な人の集まり方の多様さが、一堂に会するような、その活動の様子が相互に見え隠れするような建築を、部屋と廊下というありふれた形式を引き受けた上で新たな関係性の中に見いだすことができないか。。。片廊下の校舎を折り曲げて、それらを背中合わせに寄り添わせるという形式は、こうした思考の末に導かれた。」
図面や写真を見る限りは上手く行っているのかなと思うし、僕が行っていた大学は、後半の工学部キャンパスなんてそれぞれの学科も孤立し、ビルの階数で縦にも孤立した講義室が積んであったので、こんな経験は確かに全くできなかったから、羨ましくもありますw。
が、そもそも千葉さんの角張って無機質な表現はどうも苦手なので仕方ありませんけど、さて長い期間愛される建築なのだろうか??とは正直思いますし、それこそが欠けているとも思います。
ところで、本誌で、東北大教授の小野田さんが震災復興と建築家の役割について「ホワイトナイトかゲリラか」というタイトルで書いていて、その図式も記されていました↓↓
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ホワイトナイト=白い騎士、つまりとても友好的な信頼のできる相手、という意味で、まあもちろんこうあるべきなのはどう考えても明かなのですが、建築や都市という分野では、日本は特にこの「ゲリラ・モデル」(何故ゲリラと名付けるのか分かりませんが)になってしまっていて、なかなか変わる糸口さえ掴めずに来てしまっていると思いますが、震災が起ったからといって、それが急に変われるはずもなく、それでも被災地、被災者のために少しでも早く、良いものを実現しようとホワイトナイトが目指されるわけですが、そう簡単にはいかないものでしょうね。
読んで思ったのは、まずは,平常時からその住民と専門家と行政の信頼関係を築いておけば、いざという時にも困らないし、その上普通に出来上がってゆく施設や都市の質も上がりコストの無駄も減るのだから取組まない理由はないはずなのに、というか取組んで来ているのに何故実現できていないのか?という事を改めて考え直さなければいけないのではないか?という事です。

その問題の根本は「質」と「お金/報酬」にあって、今の公共の整備ではいくら質を高めようとしても報酬が上がるわけではなく、設計者の質が高くても、たまにコンペなどで選ばれる事はあってもそれ以上にメリットもないので、大半の設計者はアホらしいと思って大した努力もしないし、行政はそんな設計者を単なる「業者」として上から見ているし、という関係を改めない限り何も良くはならないと、分かり切った事ですよね。。
たまに書いたと思いますが、だから僕は今はつまらない公共の仕事なんかには全く興味がなく、大変だけど住宅の仕事にとても充実感を感じてしまっています。

まあ人生まだまだ長い。そのうちには!と心には秘めているつもりです。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-12 18:57 | けんちくーよむ

竣工写真ー内

引き続き内観です。
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比較的窓を大きくしているので周りが良く見える(見られる)のですが、この地域は緑がとても多く、また落着いた住宅地で近隣への信頼感が感じられる事もあって意識的に大きくしています。つまり周りにアパートがあったり誰が住んでるか分からない地域だったらここまで開くべきではないという事です。僕たちだって周りが親しい相手だけなら心を開くし、そうでなければ閉じるでしすよね?それと同じかなと。
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玄関を入ると階段と45度に開く中庭が見えますが、この鋭角の中庭を生かすためもあり階段を配置しましたがプラン上L字に曲げざるを得ず、それでも木造で重くならない階段にするために配慮をしています。玄関、階段があり、ここからリビングや浴室などにアクセスするという意味ではここが中央交差点のような要となる場所でもあります。
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夜はこんな感じですが、いつものように調光でもっと暗く絞る事もできます。ソファと椅子は間にあわなかったのでうちの備品ですw
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1階と2階の面積のバランスの関係でお風呂は結構広くなっていますが、また!木の浴槽です。我が家を随分開放的な浴室にして以来、その傾向が強くなったのですが、室内は調光して絞り、外の樹木をライトアップすると外からは余り見えにくくなりますし、なかなか気持ち良く入浴できるものです。

また1月末に、少し似た感じ?の住宅が竣工予定です。お楽しみに。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-11 18:29 | けんちくーしごと

竣工写真ー外

昨日オープンハウスも無事終わり、営業兼カメラマンの私は朝から夜まで頑張りました。
まずは外観からです。
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北のアプローチ側ですが、切妻の平屋、2階のボリュームが角度をもってぶつかっている、というのは顔となる外観として良い結果になるのか?というのは真面目に悩んだ記憶があるのですが、悩んだ分、良い感じにはできたのではないかと思います。敷地がちょうど1/4円に近い扇形だったのから出来たプランの結果であって、好き好んで難しく、風変わりにしようという意図は一切ありません。
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少し角度を変えてみると、擁壁、板塀、平屋部分、2階部分の重なりが結構変化して見えて面白いです。
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夕景ですが、冬の空という事や植栽も落葉してしまっている事もあり、緊張感がでていますね。2階の窓は側面に回す事も考えましたが、この外観でそうすると少しのっぺりし過ぎたようにも思うので、これで良かったのかなと思っています。
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中庭からですが、45度に貫入するあたりは屋根や窓や壁について随分悩んだ難しく、重要なところでしたが、何とか違和感無く自然に見えたという事は上手く行ったんじゃないかと思っています。

でも、自分でつくったものを自分で評価するのはなかなか出来ないもので、本当にこれで良かったのだろうか??というのは当然いつも思います。
数十年先に、通りかかった時に、これで良かったんだな、ともし思えればそれが一番だと思うし、それを目指しているつもりです。

近年の省エネやらなんやらの流行?で建築の雑誌も様々な技術やデザインで溢れ返っているわけですが、当然その目的は地球や人類やその建物自体がサステナブル(長生きする)事のはずなのですが、だいたい、美しくないものはサステナブルでなんかない!というのが僕の主張でして、幾らそんな性能が高くても、10年後にデザインの特異さに飽きて潰したくなってしまったら、そんなものサステナブルの逆ですよね?でもそんなのばっかりです。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-10 14:57 | けんちくーしごと

セントラルパーク構想撤回?

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静岡新聞など?でセントラルパーク構想の撤回、取下げ、というような報道がなされてから少し空きますが、ちょっとバタバタしてまして。。
資料を入手しましたので貼ります。

まず、どうやら撤回,取下げというのは新聞側が勝手に書いたようで、浜松市としては、ただセントラルパーク構想の中に入っていた、小中一貫校、美術館、文化センターを同時に(無理矢理)進める事に市民や議会などから多くの反対があったので、それらを分離して、「熟度に応じて」それぞれの本来の担当課(それまでは緑政課がまとめて担っていた。それにはまあ無理はありますよね)が進めてゆく、という事で、公園整備についての部分についてが、この資料の方針で進められるというだけで、全体像は変わっていないと言えば変わっていないようです。

ただ、1年単位でスケジュールが緩やかになり、市民の意見を聞きながら進める、と決まったようだから、まずはこうやって小さいながらも市民としてブツクサ言っている事にも意味は有ったのかもしれません。
ただそれでホッとしていたらまたいつの間にかコソッと着実に進んでしまっている可能性は十分にあるので(浜松市は結構そういう特徴があると僕は思います)今後もブツクサ言っていかないと。。

具体的には、12/19の夜に中区では意見交換会が予定されているようですが、どこかに公表されているのだろうか??早く公表して欲しいものです。

また、我らが?「100人100色」、年末は何かと動けていませんが、ちょっとアンケート形式で、メンバーやその他の皆さんからご意見やアイディアを集めてまとめてみようと思っています。

でも、例の安藤さんの提言は何だったんだろう?そして委託費やそれに関わる会議や職員の人件費は数千万以上にはなりそいうだけど、その程度は取るに足らない金額なんでしょうかねえ??

もうひとつ、「セントラルパーク」という名前は随分前から使っていたらしいのですが、今回どうやらその呼び名は止めてしまったようですが、それも意味不明ですよね。
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by Moriyasu_Hase | 2012-12-04 15:16 | 浜松のこと